『境目の戦国時代 上杉・武田・北条のはざまを生き抜いた人びと』大貫茂紀著(小さ子社)
[レビュアー] 金子拓(歴史学者・東京大准教授)
複数大名の下 生活守る
複数の領域やものごとが接する部分を一般的に境、境界のように称する。境目という言い方もあるが、日本の戦国時代研究のばあい、「境目」とは学術用語である。著者は「境目」と呼ばれる地域やそこを支配した地侍たち、そこに生きる住民たちの研究をおこなってきた。
日本史の教科書や資料集では、戦国大名の支配地域が色分けして示されている。おおよそ古代律令制下で定められた国や郡の境界線に沿ってはっきり分けられているが、著者は、「境目」の実態は開放性があり、ある程度の空間的広がりがあったと指摘する。
戦国史研究における「境目」の代表的事例として「半手(はんて)」と呼ばれた地域があり、本書でも紹介されている。半手とは、住民の主体的意思により、接する戦国大名双方に半分ずつ年貢を納入した地域のことを言う。こうすることで自らの手で自分たちの生活の場を守ってきた。たとえば、房総の里見氏と相模の北条氏の「境目」にあった三浦半島の郷村が紹介されている。つまり海を隔てて「境目」があったのである。
本書では、主に越後・信濃・上野(こうずけ)三国の「境目」が取り上げられている。上杉氏・武田氏・北条氏という戦国大名の合従連衡のはざまで、「境目」の領主たちはいかにして生き残りをはかったのか。「境目」はその空間的性格ゆえに、人や物資、情報が集まる場であった。「境目」の領主たちはそうした自分たちの利点を最大限に活(い)かそうとし、周囲の大名も彼らの利害を尊重して味方につけようとする。
戦国時代も収束に向かい、大名が淘汰(とうた)される時期になると「境目も減少する」という。不思議な表現だが、「境目」の領主たちが大名家の家臣団に取り込まれてしまうからだ。戦争状態においてこそ「境目」領主たちに存在価値が生じる。現今のウクライナ戦争でも、ロシアと国境を接する地域における住民の行動が注目されたことが頭に浮かんできた。