国家に翻弄された硫黄島……語られなかった声が響く、硫黄島民三世の作者による作品

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水平線

『水平線』

著者
滝口 悠生 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103353140
発売日
2022/07/27
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

生者と死者が交信し、交替し、交錯する

[レビュアー] 石原俊(社会学者)

 東京都心からはるか一二五〇kmほども南方にありながら日本国東京都に属するその島は、第二次世界大戦のなかでも最も凄惨な戦場のひとつだった。このことは、知られていなくもない。

 しかし、その島が戦場となる前、一〇〇〇人以上の住民がサトウキビやコカを栽培しながら暮らしていたことは、人びとから忘れられてきた。島民の大多数が本土に強制疎開させられたこと、かたや一六~五九歳の島民男性は軍属として残留させられ、その大多数が亡くなったことも、忘れられてきた。その島が地上戦後、米軍の秘密基地にされたこと、五〇年以上前に日本に返還されたけれども、こんどは全島が自衛隊の管理下に置かれるようになり、島民はもう八〇年近く故郷に戻れないことも、ほとんど忘れられている。戦時と戦後、何重にも犠牲を払わされてきたこの島、硫黄島の住民のことを、日本の多くの人びとは、忘れていることさえ忘れてしまっている。

 一九四〇年、一八歳の三森(みつもり)イク、その夫で二〇歳の漁師の和美、その弟でイクの同級生の達身(たつしん)、そしてイクと達身の同級生の重ル(しげる)。和美は徴兵逃れのため、達身や重ルが使う砂糖締機の石車で、右手の人差し指を潰してしまう。イクの妹の皆子と達身は愛し合っていた。和美と達身の末の弟の忍、そして重ルは強制疎開の対象から外され、和美は生き延びる。

 二〇一九年、三七歳の横多平(よこたたいら)に、祖母・イクの妹を名乗る八木皆子さんからメールが届いた。皆子さんは硫黄島から強制疎開後、平の母やイクと一緒に伊豆・下田に定着し、民宿「水平線」を切り盛りしていたが、その後失踪して亡くなったとされる。翌二〇年、平は仕事を辞めて、皆子さんがいま住んでいるという、硫黄島の三〇〇kmほど北にある父島に渡った。

 同じ二〇二〇年、平の妹、三六歳のパン職人の三森来未(くるみ)に、祖父・和美の弟を名乗る三森忍さんから電話がかかってきた。来未の大叔父にあたる忍さんは、強制疎開時に残留させられ地上戦で亡くなったとされる。来未は高校の同級生でかつて自衛隊員だった秋山くんと再会し、恋に落ちる。遺骨収集補助の仕事で硫黄島に降り立ったこともある秋山くんにも、やがて忍さんから電話がかかってくるようになる。

 島民三世の平や来未たちと一世たちが、時空を超えて交信する。交信が繰り返されるにつれて、語る主体が交替し、やがて生者と死者が、さらには生きているのか死んでいるのかわからない者たちが交錯する。

 本書は、自身も硫黄島民三世の作者が、文学が可能なあらゆる方法を駆使し、忘れていることさえ忘れられてきた経験を〈回復〉する作品だ。〈回復〉されるのは史実ではなく、紙一重で生死を隔てられ、故郷を奪われ異郷で生き直した島民たちの無念や怒り、努力や希望そのものだと評者は思う。

 本書を読了された方は、評者の歴史書『硫黄島―国策に翻弄された130年』(中公新書)にも目を通していただけるとありがたい。作者と評者はいま「全国硫黄島民3世の会」などの場で、島民一世の生活史を記録し後世に伝える活動を進めている。

河出書房新社 文藝
2022年冬季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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