『偽悪病患者』
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『烙印』
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見過ごされてきた作家の待望の文庫化 人間重視の探偵小説
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
角田喜久雄のシリーズキャラクター、加賀美捜査一課長が活躍する全短篇をまとめた『霊魂の足』(創元推理文庫)は、大いにマニアを沸かせた。
今回、大下宇陀児の戦前、戦後の短篇の業績を二冊に編集した『偽悪病患者』『烙印』(創元推理文庫)も同様に多くの読者の賛同を得る事だろう。大下は、何故か昭和四十年代、江戸川乱歩や夢野久作らがブームとなった時も評価される事なく見過ごされてきた。今回の文庫化はそうした渇を癒やす贈り物となろう。
『偽悪病患者』において表題作は、兄妹の往復書簡が犯罪の真相を暴くという構成がとられていた。この作品は作者自身が後に定義し直す“ロマンチック・リアリズム”の萌芽と見られ、従来の探偵小説のトリック重視による「不自然さ」を回避し人間重視の姿勢を打ち出したものだった。この姿勢は「烙印」で、犯人の心理を倒叙的手法で描く形に結実していく。
この二冊の傑作集の解説を担当している長山靖生、伊吹亜門の両者の客観性に根ざした大下宇陀児愛は素晴しく、私も二人の解説で確認しながら大下の事蹟を辿っている次第である。
私が中学生の頃には大下宇陀児の仙花紙本が、古本屋に二、三百円でゴロゴロしていた。前述の作品以外では「情獄」や「魔法街」(特にこの作品の幻想小説風なところが大のお気に入りだった)、そして「灰人」「凧」「不思議な母」等も思い出深い作品だ。
だが、当時は欲しい本が次から次へと湧いて出て、折角揃えた仙花紙本もすぐまた買えるだろうと思って手放したのが最後、二度と手に入らなくなってしまった。
今回の二冊はそうした懐かしい諸作が総動員されており、まことに愛しい。
また、大下と言えば、本格派の雄、甲賀三郎と華々しい探偵小説論争を交した事でも知られている。
そしてその甲賀も、何故か評価軸からもれている。できれば甲賀の短篇作品も傑作集としてまとめて文庫化してもらえないものだろうか。これは一ファンとしての切なる願いである。