幕府の金融政策にまつわるさまざまな事件を背景に、 時代に翻弄された二人の男の人生を約五十年にわたって描く、熱き時代小説!

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十三夜の焔

『十三夜の焔』

著者
月村 了衛 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718126
発売日
2022/10/26
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

幕府の金融政策にまつわるさまざまな事件を背景に、 時代に翻弄された二人の男の人生を約五十年にわたって描く、熱き時代小説!

[レビュアー] 集英社

月村了衛 『十三夜の焰』刊行記念インタビュー  「江戸から令和に連なる腐敗の構造をえぐり出す」

十三夜の月の下、運命的な出会いを果たした二人の若者。

江戸の市中見回りを担う御先手組の幣原喬十郎と、盗人一味の新顔である千吉せんきち。

やがて二人は数奇な運命に導かれ、千吉が両替商・銀字屋利兵衛と名を変えた後も、くり返し相まみえることになります。

ある時は仇敵同士として、またある時は友として─―。

月村了衛さんの本誌連載をまとめた新刊『十三夜の焰』は、幕府の金融政策にまつわるさまざまな事件を背景に、

時代に翻弄された二人の男の人生を約五十年にわたって描く時代小説です。

時代ミステリの面白さと人情ものの味わいが融合した新作について、月村さんにうかがいました。

取材・構成/朝宮運河 写真/織田桂子

時代を〝飛ばす〟ことで長い人生を描ききる

─―『十三夜の焰』は本誌連載(二〇二一年十一月号~二〇二二年六月号)を単行本化したものです。二〇一八年刊行の『コルトM1847羽衣』以来、時代小説の新作は久しぶりですね。

月村 私は最初に版元のオーダーを伺って、どういう作品が求められているか見定めたうえで着手することが多くて、今回も連載開始までに打ち合わせを重ねました。やがて今回は時代小説で行きましょう、と決まったんですが、そこからが思案のしどころで。一口に時代小説といっても範囲が広いですから。今どういう時代小説が求められていて、自分にとって切実に書くべき題材は何なのか、時間をかけて考えました。

手掛かりを求めていろんな本を読み返しているうちに、長谷川伸の『股旅新八景』の一編に行き当たり、「これだ」と思ったんです。それは二人の渡世人が出会いと別れをくり返す短編なんですが、途中で何度も時代が飛ぶんです。ごくわずかな枚数で主人公の青春時代から老境までを描いていて、この構成は斬新だと。こういう形式で二人の主人公を描いてみたいなと考えました。

─―そうした時代小説ファン・時代劇ファンへのサービスを盛り込みつつ、主軸にあるのは喬十郎と利兵衛という対照的な二人をめぐる人間ドラマです。喬十郎は格式高い武士の家に生まれながら、どこか「甘い」ところがある若侍。月村さんは喬十郎を描くうえでどんなことをお考えになっていましたか。

月村 喬十郎の父の宗治が「甘さこそがおまえの強みである」と言いますよね。まさにこれが喬十郎のテーマで、そのことを彼が人生を通して証明し、悟っていく過程がひとつの軸になると思いました。対して利兵衛の方は、最初はクールな色悪風ですが、歳月とともに丸くなっていく。そこが書いていて面白かったところです。家族を得たことで丸くなっていく利兵衛の姿は、自分も父親なので実感をもって書くことができました。

─―喬十郎と利兵衛が初めて出会ったのは、天明四年(一七八四年)五月の十三夜のこと。夜道を急いでいた喬十郎は、涙を流している若い男に遭遇します。匕首を手にした男の傍らには、血まみれになった惨殺死体。喬十郎が声をかけると、男は「俺じゃねえよ」と答えて逃げ去っていきます。十三夜の月が利兵衛の涙を照らすこのシーンは、とても印象的ですね。

月村 作中で、武士は人前で泣くものではないと喬十郎が言うんですけど、私の作品に出てくる人物はなぜかよく泣くんです。極力泣かせないようにしようと思っていても、ここは泣くしかないだろうという劇的なシーンに来るとどうしてもそうなってしまう。実際に私自身が泣きながら書いてますから(笑)。

─―利兵衛は幼い頃に母親を亡くし、極貧の少年時代から盗人暮らしを経て、江戸の本両替商にまで成り上がった人物です。いわば弱肉強食の時代を象徴するような、過酷な半生を送ってきました。

月村 利兵衛が後に就くことになる本両替仲間の筆頭行事というのは、今でいう日銀総裁みたいなポジションなんです。このままの経済政策を続けると、庶民の生活はもっと苦しくなるということが頭ではよく分かっている。でも立場上それを推し進めて、下の者に厳しくそれを通達しなければいけない。これはつらい立場ですよ。

利兵衛にはやっと日の当たる世界に出てきて、愛する家族もできて、この生活を手放すわけにはいかないという思いがあるわけです。だから私利私欲や派閥性に凝り固まった役人たちの経済政策が、世の中をさらに悪くすると分かっていても、それを制止することができない。しかも仇敵である喬十郎が、いつも行く手に立ちはだかる。それでますます喬十郎への憎しみの炎が燃え上がるわけです。

─―十三夜の邂逅から十年後、二十八歳になった喬十郎は銭相場に絡んだ殺人事件を追いかけるうち、盗人から両替商となった利兵衛にばったり再会します。二人のドラマは、江戸時代の金融相場の闇が絡んでくることで、よりスリリングなものになっていますね。

月村 金融、公儀ときたら腐敗はセットみたいなものですから(笑)。そういうのっぴきならない状況を背景にすることで、主人公のアクションはより輝きを増すと思います。というか、絶望的な状況の中であがく人間像こそが、自分にとっては魅力的なんですね。これは時代小説でも現代小説でも同じですが、小説はアクションシーンだけが良くてもしょうがない。主人公が絶望的な状況に追い詰められて、必死になって活路を切り拓くところにこそ真の面白さが生まれるのだと思います。

─―読んでいてこれは現代にも通じる話だな、と感じました。庶民が生活苦に喘いでいるにもかかわらず、幕府は「御用金」を徴収しようとし、両替商たちもそれに唯々諾々と従う。昨今の増税をめぐる状況にそっくりです。

月村 江戸の金融を扱おうと着想した段階で、現代にも通じる話になりそうだという予感はあったんですけど、実際書き進めていくと思った以上に時代とシンクロした話になりました。おそらく金融をめぐる腐敗の問題というのは、江戸時代であろうが現代であろうが、いつの時代も同じなんですよね。

私自身、生活に喘いでいる一庶民なので、政府に対する怒りはありますよ。恥を忍んで出版社に原稿料を少し早めに振り込んでもらえないかという相談をしたことだって一度ならずありますから(笑)。次から次と高い税金を取られて、挙げ句の果てにはインボイス制度だなんて冗談じゃないと思います。そういう思いは読者の皆さんも共有しているでしょうし、自分が生きている時代に対する反応というのは、時代小説を書いていても自ずと滲にじみ出てくるもの。そういう思いが筆の先から自然と出てくるようになって初めて、その作品は命が宿るんじゃないかと考えています。

─―金融相場の闇を暴くつもりだった喬十郎でしたが、利兵衛の画策によって失脚。佐渡に左遷させられることになります。左遷先が佐渡であるのには、何か理由があったのでしょうか。

月村 これが京都や大坂ですと栄転のニュアンスがあったり、結局定住したりというケースが多いようなので、できるだけうらぶれた感じがして、後年江戸に戻ってきてもおかしくはなく、且つ驚きのある場所を選びました。佐渡金山は長谷川平蔵が設置した「人足寄場」とも深く関わっている土地ですし、その実態を目の当たりにすることで、喬十郎の平蔵に対する複雑な思いも描ける。結果として本筋のテーマと深く関わってくる土地でしたね。

─―佐渡金山では、人足寄場から送られてきた無宿人たちが奴隷のように働かされています。すさまじいのは地底で水を汲み続ける人足たちの姿ですね。手を止めたら溺れ死ぬので、延々水を汲み続けるしかない。「人の命を使い捨てにすることによって御政道が成り立っている」という事実は喬十郎を打ちのめします。

月村 あのシーンはインパクトが大きかったようで、読者の方からも反響がありました。現代の社会状況と通じるものがあるんでしょうね。まさに労働者を使い捨てにする現代の象徴でしょう。佐渡金山については『コルトM1847羽衣』を書いた時に一度勉強していたので、今回それほど苦労せずに書くことができましたが、時代小説はいつも資料の読み込みが一苦労です。金山は特殊な用語が多いので、それを頭に入れるのが大変なんですよ。この年になってもずっと受験勉強を続けているような気分です(笑)。

─―事件の背景にある江戸時代の金融システムについても、下調べが大変だったのでは。

月村 金融に関しても『コルトM1851残月』を書いた時に一通りの資料は集めていて、大体のことは頭に入っていたんです。ただ受験勉強と同じで時間が経つと忘れるんですよ(笑)。資料を積み上げて、勉強漬けの生活でした。そうやって調べ物をするとつい知識を披露したくなるんですが、読者が知りたいのは江戸時代の金融知識ではなく物語や人物です。小説は「これだけ勉強しました」ということを示すレポートではないので、勉強した知識をどれだけ削そぎ落として、分かりやすい言葉で読者に伝えられるかが作家の腕の見せどころです。

─―なるほど、それでこの小説にも幣原喬十郎と銀字屋利兵衛という、二人の主人公がいるんですね。

月村 この二人はできるだけ対照的にしようと当初から思っていました。幕府の裏の部分と関わるような事件もあらかじめ考えていたので、それぞれ体制側の人間と反体制側の人間にして、年齢も同じにするのがいいだろうなと。この二人のお互いに対する感情の変化が、全体の書きどころでしたね。金融政策をめぐる腐敗が描かれるので、どうしてもハードな部分は出てくるんですけども、今回はあくまで二人の人間像に主眼を置いて、人情味がしみじみと伝わってくるような時代小説にしたいなという狙いもありました。

─―そのほか、連載前にこうしようと決めていた点はありますか。

月村 編集部からは「実在の人物を出してほしい」と言われました。その方が読者も入り込みやすいだろうと。私としてもまったく異論がありませんでしたので、どういう人物がふさわしいかを考えて、時代的に長谷川平蔵が使えそうだと思い至ったんです。江戸の犯罪に関わるのは町奉行所か火付盗賊改で、後者となると必然的に長谷川平蔵かなと。

─―『鬼平犯科帳』の「鬼平」として知られる人物ですね。

月村 しかも今回は時代を飛ばすことができる。ということは、長谷川平蔵より前の時代や後の時代の人物も出せるんです。そこで「遠山金四郎も出せるな」と気づいた瞬間に、この作品はいけるぞという手応えを感じました。長谷川平蔵が残した謎の解決に遠山金四郎が挑むというコンセプトは分かりやすいし、なかなか面白いんじゃないかと。その謎が主人公二人の運命に関わっていたとすれば、作品としても統一性が取れますからね。そこからプロットが形になっていった、という流れでした。

いつの時代も変わらぬ〝政治と金〟

─―そうした時代小説ファン・時代劇ファンへのサービスを盛り込みつつ、主軸にあるのは喬十郎と利兵衛という対照的な二人をめぐる人間ドラマです。喬十郎は格式高い武士の家に生まれながら、どこか「甘い」ところがある若侍。月村さんは喬十郎を描くうえでどんなことをお考えになっていましたか。

月村 喬十郎の父の宗治が「甘さこそがおまえの強みである」と言いますよね。まさにこれが喬十郎のテーマで、そのことを彼が人生を通して証明し、悟っていく過程がひとつの軸になると思いました。対して利兵衛の方は、最初はクールな色悪風ですが、歳月とともに丸くなっていく。そこが書いていて面白かったところです。家族を得たことで丸くなっていく利兵衛の姿は、自分も父親なので実感をもって書くことができました。

─―喬十郎と利兵衛が初めて出会ったのは、天明四年(一七八四年)五月の十三夜のこと。夜道を急いでいた喬十郎は、涙を流している若い男に遭遇します。匕首を手にした男の傍らには、血まみれになった惨殺死体。喬十郎が声をかけると、男は「俺じゃねえよ」と答えて逃げ去っていきます。十三夜の月が利兵衛の涙を照らすこのシーンは、とても印象的ですね。

月村 作中で、武士は人前で泣くものではないと喬十郎が言うんですけど、私の作品に出てくる人物はなぜかよく泣くんです。極力泣かせないようにしようと思っていても、ここは泣くしかないだろうという劇的なシーンに来るとどうしてもそうなってしまう。実際に私自身が泣きながら書いてますから(笑)。

─―利兵衛は幼い頃に母親を亡くし、極貧の少年時代から盗人暮らしを経て、江戸の本両替商にまで成り上がった人物です。いわば弱肉強食の時代を象徴するような、過酷な半生を送ってきました。

月村 利兵衛が後に就くことになる本両替仲間の筆頭行事というのは、今でいう日銀総裁みたいなポジションなんです。このままの経済政策を続けると、庶民の生活はもっと苦しくなるということが頭ではよく分かっている。でも立場上それを推し進めて、下の者に厳しくそれを通達しなければいけない。これはつらい立場ですよ。

利兵衛にはやっと日の当たる世界に出てきて、愛する家族もできて、この生活を手放すわけにはいかないという思いがあるわけです。だから私利私欲や派閥性に凝り固まった役人たちの経済政策が、世の中をさらに悪くすると分かっていても、それを制止することができない。しかも仇敵である喬十郎が、いつも行く手に立ちはだかる。それでますます喬十郎への憎しみの炎が燃え上がるわけです。

─―十三夜の邂逅から十年後、二十八歳になった喬十郎は銭相場に絡んだ殺人事件を追いかけるうち、盗人から両替商となった利兵衛にばったり再会します。二人のドラマは、江戸時代の金融相場の闇が絡んでくることで、よりスリリングなものになっていますね。

月村 金融、公儀ときたら腐敗はセットみたいなものですから(笑)。そういうのっぴきならない状況を背景にすることで、主人公のアクションはより輝きを増すと思います。というか、絶望的な状況の中であがく人間像こそが、自分にとっては魅力的なんですね。これは時代小説でも現代小説でも同じですが、小説はアクションシーンだけが良くてもしょうがない。主人公が絶望的な状況に追い詰められて、必死になって活路を切り拓くところにこそ真の面白さが生まれるのだと思います。

─―読んでいてこれは現代にも通じる話だな、と感じました。庶民が生活苦に喘いでいるにもかかわらず、幕府は「御用金」を徴収しようとし、両替商たちもそれに唯々諾々と従う。昨今の増税をめぐる状況にそっくりです。

月村 江戸の金融を扱おうと着想した段階で、現代にも通じる話になりそうだという予感はあったんですけど、実際書き進めていくと思った以上に時代とシンクロした話になりました。おそらく金融をめぐる腐敗の問題というのは、江戸時代であろうが現代であろうが、いつの時代も同じなんですよね。

私自身、生活に喘いでいる一庶民なので、政府に対する怒りはありますよ。恥を忍んで出版社に原稿料を少し早めに振り込んでもらえないかという相談をしたことだって一度ならずありますから(笑)。次から次と高い税金を取られて、挙げ句の果てにはインボイス制度だなんて冗談じゃないと思います。そういう思いは読者の皆さんも共有しているでしょうし、自分が生きている時代に対する反応というのは、時代小説を書いていても自ずと滲にじみ出てくるもの。そういう思いが筆の先から自然と出てくるようになって初めて、その作品は命が宿るんじゃないかと考えています。

─―金融相場の闇を暴くつもりだった喬十郎でしたが、利兵衛の画策によって失脚。佐渡に左遷させられることになります。左遷先が佐渡であるのには、何か理由があったのでしょうか。

月村 これが京都や大坂ですと栄転のニュアンスがあったり、結局定住したりというケースが多いようなので、できるだけうらぶれた感じがして、後年江戸に戻ってきてもおかしくはなく、且つ驚きのある場所を選びました。佐渡金山は長谷川平蔵が設置した「人足寄場」とも深く関わっている土地ですし、その実態を目の当たりにすることで、喬十郎の平蔵に対する複雑な思いも描ける。結果として本筋のテーマと深く関わってくる土地でしたね。

─―佐渡金山では、人足寄場から送られてきた無宿人たちが奴隷のように働かされています。すさまじいのは地底で水を汲み続ける人足たちの姿ですね。手を止めたら溺れ死ぬので、延々水を汲み続けるしかない。「人の命を使い捨てにすることによって御政道が成り立っている」という事実は喬十郎を打ちのめします。

月村 あのシーンはインパクトが大きかったようで、読者の方からも反響がありました。現代の社会状況と通じるものがあるんでしょうね。まさに労働者を使い捨てにする現代の象徴でしょう。佐渡金山については『コルトM1847羽衣』を書いた時に一度勉強していたので、今回それほど苦労せずに書くことができましたが、時代小説はいつも資料の読み込みが一苦労です。金山は特殊な用語が多いので、それを頭に入れるのが大変なんですよ。この年になってもずっと受験勉強を続けているような気分です(笑)。

─―事件の背景にある江戸時代の金融システムについても、下調べが大変だったのでは。

月村 金融に関しても『コルトM1851残月』を書いた時に一通りの資料は集めていて、大体のことは頭に入っていたんです。ただ受験勉強と同じで時間が経つと忘れるんですよ(笑)。資料を積み上げて、勉強漬けの生活でした。そうやって調べ物をするとつい知識を披露したくなるんですが、読者が知りたいのは江戸時代の金融知識ではなく物語や人物です。小説は「これだけ勉強しました」ということを示すレポートではないので、勉強した知識をどれだけ削そぎ落として、分かりやすい言葉で読者に伝えられるかが作家の腕の見せどころです。

歳月とともに変化する人間の姿を描く

─―二人の出会いのきっかけとなった月夜の國田屋殺しに始まって、作中ではいくつもの謎めいた事件が起こります。やがてその背後に、長谷川平蔵すら巻き込んだ大きな力があることが分かってくる。大小のエピソードが複雑に絡み合ってくる物語ですが、事前に細部まで考えておられたんでしょうか。

月村 何度か時間を飛ばすことになるので、どの時代を取り上げるかは事前にしっかりと決めておきました。後でやっぱり失敗だったと判明しても、連載が始まってしまったらどうしようもないですからね。そこは慎重に検算を重ねて、この時代とこの時代だったらうまく話が繫つながるなと吟味しました。

逆にいうと決まっていたのはそこまでで、その中でどんな事件を起こしてどう対処するかという具体的なアイデアは一切決めていないんです。他の作品でもそうですが、プロットには「手がかりを摑つかんだ主人公は危機を突破する」というようなことしか書いていない。締め切りが近づいてくると、「〝手がかり〟って一体どんな手がかりなんだ?」と頭を抱えることになります(笑)。最終的にはどうにかなるんですが、思いつくまではハラハラものですね。

─―連載していて、ここは想定外だったという展開やシーンはありますか。

月村 自分で意外だったのは、途中で意地悪な両替商仲間がたくさん出てくるじゃないですか。以前だったら、利兵衛の地位を狙う両替商が執念深く足を引っ張る、というサスペンスフルな展開にしていたと思うんですよ。しかし今回はそういう連中が、歳月の流れとともにいい奴になっているんですよね。そこは自然に書いた部分なんですけど、人は時間とともに変化していき、誰かがいなくなると別の誰かがその役を果たす。そうやって世の中は回っているんだという社会観、組織観みたいなものが出てきたのは、自分でもちょっと意外でした。これが成長と言えるのかは分かりませんが、自分の中で何かが変わってきているんだなということは感じましたね。これまでより筆が一段深いところに入り込んでいく感覚があって、それは良かったなと思います。

─―公儀の手先となって暗躍するのが、染物屋の二階に間借りしている正体不明の侍・伊丹塔仁。たびたび喬十郎の前に現れる塔仁は、この時代の闇を象徴するような不気味なキャラクターですね。

月村 伊丹塔仁はプロットの段階では最初の方にしか出てこないはずだったんです。名前もその場限りの思いつきで、必要があれば変えるつもりだったんですが、染物屋の二階に間借りしていて「御二階様おにかいさま」、転じて「鬼飼様」と呼ばれているという着想を得た途端、彼の存在が大きくなったんですね。御二階様というネーミングには、近年失われつつある正統的な伝奇時代小説のニュアンスがありますし、このキャラクターは一度きりの登場にするのはもったいない、後々活躍させた方がいいんじゃないかと考え直したんです。

─―物語後半で彼の意外な素性が明かされることになります。

月村 幕府のために働いているという設定は初登場時からありましたが、どういうモチベーションで実行しているのかについては、書きながら考えました。

─―利兵衛の一人娘・おりんも物語後半で重要な役割を担うキャラクターです。「算盤小町」と異名を取るほど商いに通じたおりんは、腐敗した権力に取り込まれかけていた利兵衛にとって、一筋の光となります。

月村 当初おりんもここまで活躍する予定はなかったんです。ただ利兵衛が置かれている苦しい状況を脱するために、手を貸してくれるキャラクターが誰か必要だった。どういう人物なら不自然さがないかと考えているうちに、海保青陵という実在の経世家(経済学者)に行き当たりました。そこで娘のおりんが海保青陵に傾倒して、日本橋の道場に通っているという展開が生まれてきたんです。まるで計算していたようにうまく収まりましたが、彼女が経世家になるという展開も、連載途中に生まれてきたものです。結果として、より現代人に響くキャラクターになったように思っています。

─―そのほかにも時代劇ドラマばりの活躍を見せる遠山金四郎や、病身ながら喬十郎を支える妻の志津など、魅力的なキャラクターが数多く登場しますね。

月村 自分では角治郎が気に入っているんです。角治郎は古着屋を営みながら裏の世界と関わりを持ち続けているんですが、途中でこんな世の中には付き合っていられない、という感じで退場してしまう。あれはどこか作者の気持ちを代弁しているところがあったと思います。善人ではないんだけど、かといって根っからの悪人とも言い切れない。どっちつかずのグレーゾーンに生きるというあり方は、人間としてリアルなんじゃないかと感じています。

遠山金四郎に関しては、初稿時に編集から「人物像がはっきりしない」という指摘がありまして、いろいろ考えた結果、「金田一耕助をモデルにしよう」と思いつきました。これは面白いんじゃないかと。いわゆる遠山の金さんには従来のイメージが強烈にありますから、それを踏襲した上で個性的な人物になってくれたのではと思います。金四郎は実はかなり幕末に近い時期の人物で、出番の少ないのが残念なくらいでした。

「甘さが強さである」というテーマを追い求めて

─―年齢を重ね、火付盗賊改となった喬十郎は、とうとう数十年来の因縁に決着を付けることになります。月村さんのこれまでの作風から血で血を洗う死闘が展開するのでは……、と思っていたのですが、また違った形のクライマックスが用意されていて驚きました。

月村 そこでチャンバラにするのは普通過ぎるだろうなと。今回はこれまで以上に人間性に寄り添った作品を目指していましたし、時代小説も時とともに変化していくものですからね。どうすれば現代の読者により深く伝わって、しかも時代小説としてインパクトのあるクライマックスが書けるか。熟考した結果あのような展開になりました。

─―喬十郎も利兵衛も、それぞれの立場で時代の大きな闇に触れ、打ちひしがれることになる。ある意味では非常にビターな話だと思うのですが、だからこそ喬十郎の「甘さ」や、利兵衛の流していた涙が大切なものに思えます。

月村 やはり甘さが強さである、ということは喬十郎にとって人生のテーマだったんでしょう。それを彼は一生かけて理解しようとし、利兵衛は喬十郎の甘さによって自分自身がずっと救われてきたことを晩年にいたって悟る。そういう意味でもこの二人の人生は、深く結びついていたんですね。

─―「残照」と題された最終章では、大きな事件を経験した後の、二人の晩年が描かれています。しみじみと胸に迫るラストシーンですね。

月村 本当は事件が解決したところで終わりにしようと思っていたんです。ただ二人のその後を書いた方が、より読者に感情移入してもらえるんじゃないかと。あのラストを書いたことで人情ものの味わいも強まりましたし、自分では成功したラストじゃないかと思っています。

─―青年期の血気、中年期の不安、壮年期の覚悟、そして晩年の達観。対照的な二人の主人公を通して人生のさまざまな局面を追体験させてくれる、力強いエンターテインメントだなと感じました。執筆を終えた今、月村さんはこの作品についてどうお考えになっていますか。

月村 難しいことは考えず、まずは時代小説として楽しんでいただければ本望です。その上でこうも思っていますね。現在と過去はまったく切り離されているのではなく、過去の集積の上に現在が成り立っている。それは近年、昭和史を題材にした作品を書いていて痛感することですし、今回この作品を書いていて、より切実にそう感じました。日本人のあり方というのは、江戸時代から現在までそれほど変わっていないんじゃないか。だから過去の過ちを、私たちは何度もくり返してしまうのではないのか。この小説に書いた腐敗の構造は、普遍的なものなのだろうと思います。

気軽に楽しんでもらうのが一番ですが、そういう歴史の流れにも思いを馳せていただけるといいなと思っています。

文芸ステーション
「小説すばる」2022年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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