『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』神野藤昭夫著(花鳥社)

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よみがえる与謝野晶子の源氏物語

『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』

著者
神野藤 昭夫 [著]
出版社
花鳥社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784909832580
発売日
2022/07/15
価格
4,180円(税込)

書籍情報:openBD

『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』神野藤昭夫著(花鳥社)

[レビュアー] 梅内美華子(歌人)

現代語訳 情熱の軌跡

 表紙の与謝野晶子の写真はあまり見たことがなかった珍しいものだ。1912年パリで撮影され、近年発見されたものだという。パリでは夫寛(鉄幹)とともに彫刻家ロダンを訪ね、自身の『新訳源氏物語』を献じている。ロダンが挿画の美を激賞し、友人に訳してもらって味わいたいと述べたことが晶子の感銘をさらに深めたという。著者はパリ体験が晶子に世界を意識させる牽引(けんいん)力になったのではないかと推察する。今年は晶子の渡欧から110年、没後80年にあたる。

 『源氏物語』を現代語に訳したのは晶子が嚆矢(こうし)である。晶子と源氏翻訳はどのように形成され完成していったか。本書は多くの資料をもとに情熱と訳業の軌跡をたどる。与謝野源氏と呼ばれ広く知られているのは戦後に出た角川文庫の『全訳源氏物語』をさす。与謝野源氏から読み始めたという人は少なからずいる。しかしそれ以前に源氏ファン、源氏ブームはすでに起きていた。1912年から刊行された『新訳源氏物語』は画家中澤弘光による雅(みやび)な装丁や挿画の魅力もあいまって大正の女性達(たち)の心をつかんだという。口絵に並ぶそれらを見ると王朝ロマンへのあこがれを誘引する工芸品的な豪華本である。新訳は出版社を変えながら版を重ね、近代に源氏の読者層を開拓した本であった。

 12歳の頃から平安朝の歴史と物語を独学で読んできた晶子、その古典力を活(い)かした仕事への邁進(まいしん)に家庭の窮状と夫の渡欧資金調達という側面があったというのは皮肉である。関東大震災で『源氏物語講義』の原稿が焼失。あらたに『新新訳源氏物語』(のちの全訳)に着手し、夫の死や病を乗り越えて書き上げる。執筆は人生の苦難の超克とともにあり文学に昇華された。著者は自筆原稿が速記のように見えるといい、「晶子の体内を通して、あらたな迸(ほとばし)り出ることばに変身して命をおびる」と達成を見る。まさに源氏訳の開拓者だと納得する一冊である。

読売新聞
2022年11月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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