『分断の克服1989‐1990 統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦』板橋拓己著(中公選書)
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
ドイツ統一交渉の内側
「ベルリンの壁」が壊されたのは一九八九年、いまから三十三年前の十一月である。二十世紀の冷戦体制の終わりを象徴する事件だったが、その直後から東西ドイツの統一が論じられるようになり、わずか一年後に実現した。当時の実感としても、きわめて速い展開である。西ドイツから来日した留学生の知人が、「急に統一と言われても、東の人々を、いまさら同じドイツ人とは思えない」と困惑していた姿をおぼえている。
しかし二つのドイツ国家の利害の違いだけでなく、ヨーロッパ統合の進展を重視するフランス、強国ドイツの復活を警戒する英国、NATOの東方拡大を阻止したいソ連(その交渉の記憶がいまのロシアで歪(ゆが)められ、現政権に都合のいい形で使われている)など、各国の思惑が複雑に対立する。統一を進めようとする西ドイツの政権も複数の政党の連立によって成り立っており、一枚岩の状態で交渉に臨めるとはかぎらない。
多くの回想や政府文書の公開が進んだ結果、この外交史の内側のやりとりを詳しく知ることができるようになった。それを丹念に調べた著者が本書で明らかにするのは、統一の過程の全体において、西ドイツの外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーが果たした役割の大きさである。東ドイツからの亡命者で、少数政党に属するという独特の経歴も手伝って、東西両国の統一を早くから唱えていた。
ゲンシャーの本来のねらいは、ソ連・東欧諸国も組みこんだ全ヨーロッパの安全保障体制を築くことにあった。しかしヘルムート・コール首相やアメリカのブッシュ(父)大統領は、NATOの枠組を維持したまま、急速にドイツの統一を進めようとする。結果としてはゲンシャーも彼らを牽制(けんせい)しつつ、その路線に協力して外交交渉に力を尽くしたのであった。
約三十年後の現在、進行中の戦争も含めてヨーロッパの国際情勢は、この時代に結ばれた多くの取り決めを前提にして展開している。本書を読むと、現代史が始まった現場に立ち会い、自分の目で観察しているような気がしてくる。