福祉にイノベーションを起こした会社の起業物語 松田文登、松田崇弥『異彩を、放て。「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』

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福祉にイノベーションを起こした会社の起業物語

[レビュアー] 楠木建(一橋大学教授)

楠木建・評「福祉にイノベーションを起こした会社の起業物語」

 2018年に岩手で設立されたヘラルボニー。知的障害者の手によるアートをビジネスに転換する企業だ。創業経営者である双子の兄弟、松田崇弥と松田文登が起業の理由とこれからの構想を縦横に語る。自分たちがやろうとしていることが何であって、何ではないのか。静かな迫力をもってストレートに伝わってくる。

 起業のきっかけは2人の4歳上の兄、翔太の存在にある。翔太は重度の知的障害を伴う自閉症で、不思議な社名は翔太がノートに繰り返し書いていた文字列だ。3人は仲が良く、ごく普通の兄弟として一緒に遊んでいた。自閉症が治る薬があったとしても飲ませたくない、と著者たちは言い切る。それが兄の個性であり、何物にも代えがたい価値だからだ。しかし、外では「普通じゃない」と敬遠され、あるいは「かわいそう」と同情される。そうした世の中の偏見や先入観を変える。そこにヘラルボニーのミッションがある。

 従来の福祉は受け皿として就労支援施設を用意し、そこでの活動で知的障害者が一定の賃金を得られるようにする。しかし、ヘラルボニーは株式会社による商売を通じて収益を獲得し、障害者に利益配分する仕組みを意図している。

商売の基盤は価値交換にある。買い手が価値を認め、それに見合った対価を支払う。結果として、売り手は収益を獲得する。ヘラルボニーという会社の美点は、この商売の原理原則に忠実なところにある。消費者がヘラルボニーの商品を買い、企業がヘラルボニーの知的資産にカネを払うのは、寄付行為ではない。あくまでもそこに独自の価値を認めた上での価値交換だ。

 知的障害者によるアートの価値はどこにあるのか。自閉症やダウン症のアーティストの作品を世の中に広めてきた「るんびにい美術館」の板垣崇志が本書の中で明解かつ論理的な答えを示している。そもそも芸術表現は内発的な動機に基づいた行為である。アーティストは自分自身に向けて表現する。こういう色を見たい、形を見たいという自分自身の求めに応じて表現が生まれる。ところが、一般のアーティストはやがて無意識のうちに自分以外の他者の評価を意識するようになる。知的障害のあるアーティストはそうならない。最初から最後まで自分との対話であり、どこまでも自分の描きたいものを描きたいように描き続ける。だからこそ、芸術表現の加工されていない芯の部分が出てくる。これが観るものに独特の感動を与える。すなわち、本書のタイトルにあるように「異彩」を放つ。

 知的障害者には健常者のようにはできないことがある。しかし、「できないこと」を「できる」ようにするのではなく、彼らの存在に独自の価値を見出し、それをビジネスに転化する。ヘラルボニーのやってきたこと・やろうとしていることは福祉の再定義であり、言葉の正確な意味でイノベーションといえる。著者たちが強調しているように、障害者がヘラルボニーに依存しているのではない。むしろ逆にヘラルボニーの商売は障害者に依存しており、彼らの支援を受けて成立している。

 ヘラルボニーと契約するアーティストはおよそ150人。登録されたアートデータは2000点以上。アートデータは自社ブランドのライフスタイル商品に使用されるだけでなく、他の企業の商品のパッケージや公共施設、工事現場の囲い、駅や鉄道車両へと転写される。その結果としてアーティストは利益配分を手にする。数百万円の収入が発生するケースもある。彼らは確定申告をする。福祉に依存するのではなく、彼ら自らが福祉の原資を創出する側になっている。創業以来、わずか4年でこれほどの成果を達成していることに驚く。

 健常者であってもアートを売るのは難しい。「障害者であることを売り物にするのはズルい」という声が届くこともあるという。この事実が逆説的にヘラルボニーの達成を物語っている。作者が障害者であろうとなかろうと、そもそもアートの価値は意味にしかない。意味的価値の源泉は商品やサービスの背後に広がる文脈にある。知的障害のあるアーティストの特有の世界観やこだわりが意表を突く表現となる。消費者や企業がそうした文脈を理解することがアートの価値を高め、ヘラルボニーの商売のエンジンとなる。本書を読めばヘラルボニーのウェブサイトに行って商品をチェックしたくなる。そして、そのうちの少なからぬ人が欲しくなるだろう。慈善や善行ではなく、単純に商品として独自の意味的価値があるからだ。

 障害は「欠落」でなく「違い」。普通ではないことに可能性がある。この世の中には放たれるべき異彩がある。これまでの常識を変え、社会を変える――ヘラルボニーが開拓している市場はプロダクトでもライセンスでもアートでもなく、「思想」だと著者たちは言う。その思想を世に問う本書が出版されたことには大きな意味がある。一人でも多くの人に本書を手に取ってもらいたい。

新潮社 波
2022年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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