「過去の作品に比べて、圧倒的な自由が宿っている」――新進気鋭のライターが熱く論考した、沢木耕太郎のノンフィクション『天路の旅人』の新たな到達点とは

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天路の旅人

『天路の旅人』

著者
沢木 耕太郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103275237
発売日
2022/10/27
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

《胡桃の殻》を割るということ――沢木耕太郎『天路の旅人』を読む

[レビュアー] 石戸諭(記者・ノンフィクションライター)

 第二次大戦末期、敵国の中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した若者・西川一三。敗戦後もラマ僧に扮したまま、幾度も死線をさまよいながらも、未知なる世界への歩みを止められなかった。その果てしない旅と人生を、彼の著作『秘境西域八年の潜行』と一年間の徹底的なインタビューをもとに描き出した、沢木耕太郎の9年ぶりのノンフィクション『天路の旅人』が刊行された。

 沢木耕太郎の作品の中で最長にして、新たな「旅文学」の金字塔といえる本作を、記者・ノンフィクションライターとして活動する石戸諭さんは、どう読んだのか?

1

「胡桃の殻のように堅牢な人生が存在しているかのように思える」――。

『天路の旅人』の序章において、沢木耕太郎は主人公・西川一三の、とりわけ戦後の生き方をこう形容してみせた。この表現には一つの謎が含まれている。「胡桃の殻」を使った比喩が、沢木の作品に出てくるのはこれが初めてではないのだ。朝日新聞で連載された掌編ノンフィクション集とでも呼ぶべき『彼らの流儀』(新潮文庫)の中に、文字通り「胡桃のような」という一編が収録されている。

 それはこんな話だ。

 ある酒場で、沢木=「私」より若い男性客が一人で酒を飲んでいる。彼は沢木となにげない会話を交わす。ある日、クライアントの接待を終えた彼は、深夜の西麻布でタクシーを呼んだ。ハンドルを握っていたのは、老齢の運転手だった。老運転手は1日のルーティンとささやかな楽しみが決まっており、それ以上の欲をなんら持ち合わせてはいない。彼はこの人生を、胡桃の殻のように堅牢なものだと思う。それに比べると、毎晩のように接待を繰り返す自分の人生はなんと不安定なのかと自問自答するのだ。

「私」もまた話を聞くだけで、彼に何も声をかけず、自分の人生においても堅牢な人生を歩む老人に打ちのめされた過去を思い出していた。元毎日新聞記者で、ベルリンオリンピック男子5000メートルと1万メートルに出場した村社講平は、「私」に日記を見せた。そこには引退後も「その日に走った距離の総計が一日も欠かさず書き記されて」いて「走行距離の一覧表一枚で生きてきた道筋が表現できる、その簡潔で、確かな人生に、私はほとんど打ちのめされたといってよかった」という。

 酒場でのできごとがいつ起きたのか、正確にはわからないが、少なくとも連載をまとめて出版する1991年前後の沢木にとって、堅牢な人生を歩む老人は描こうと思っても、描き尽くすことができない畏怖と残余を抱える者として存在している。

2

 ここで『天路の旅人』に戻ろう。沢木が初めて出会ったとき、西川一三は80歳手前の老人だった。西川の人生はおおよそこのように描写できる。

 彼は第二次世界大戦末期、敵国であった中国に送り込まれたスパイだった。25歳の時、チベット仏教の蒙古人巡礼僧「ロブサン・サンボー」として、中華民国(当時)の政府が支配する地域を抜けて青海省へと抜ける。1945年に当時、外国人の入国が禁じられていたチベットの都市ラサへの潜伏に成功する。日本の敗戦を知った後も、任務を放棄せず仏僧としてチベットからインド方面に旅と潜入を続け、1950年、西川から見れば「密告」によってインドで逮捕され日本へと送還されたというそれだけでも壮絶な人生を生きた。

 しかし、それだけでは終わらない。帰国後に貴重な情報を持っていることに目をつけたGHQの聴取を受け、さらに自身の記憶を頼りに、数年をかけて文庫版にして約2000ページの大作『秘境西域八年の潜行』を書き上げたことでも知られるようになった。

 出版を機に、彼にとっては当たり前の毎日を繰り返す日常生活を送るようになった。岩手県盛岡市を拠点に、取引先の美容室や理容室に必要な消耗品などを卸売する会社を経営し、休日と決めている元日以外の364日は休まずに会社に出る。午前9時から午後5時まできっちり8時間分働き、昼はカップヌードルとおにぎりを2つ、夜は馴染みの店でつまみを頼まず日本酒をきっちり2合分飲んで、帰宅すると妻の用意した夕食を食べる。プロ野球の中継があれば、それを見て、だいたい決まった時間に床に就く。こうした生活を何年にも渡って繰り返した。

 1988年に東京放送(現・TBS)の看板番組でもあった「新世界紀行」で、彼の旅を再現するという企画が放映され、もう一度注目が集まることはあったが、よほど頼まれない限りメディアにも登場せず、何も変わらない普通の生活を送り続けた。

 まさに「胡桃の殻」のような堅牢な人生である。膨大な量となった書物を書き終えて以降の人生は簡潔であると同時に、清廉さすら感じさせる。

 しかも、沢木が月に一度、二泊三日の旅程で盛岡を訪れ、酒を酌み交わしながらかつての旅について尋ねてみても、本に書かれていない新しい話はどこからもでてこなかった。最初は二合だった酒の量も、時間をかけてインタヴューをするうちに三合になり、四合になっても、著作から漏れたような話はなかった。およそ文筆を生業としていなかった若者が、『秘境西域八年の潜行』に8年のほぼすべてを余すことなく記している。これ自体がすでに驚嘆すべき事実ではある。その強靭さに打ちのめされるように、2022年から数えること四半世紀前の沢木は「西川の描き方がわかるようになるまで、しばらくインタヴューを中断させてもらうこと」を申し出た。

 この時点で障壁は大きく二つある。第一に西川の旅について知りたければ、その著作を読めばほとんどすべてといっていいほどわかってしまうことである。資料的価値は自らの目で確かめた事実を、概ね正確に記した著書にこそある。ある人物を描こうにも著作を超えるような事実が見つからなかった場合、ノンフィクションの書き手は途方に暮れてしまう。

 第二に方法の問題だ。西川のような人物を描くには、ただ事実を積み上げるだけではおよそ不十分である。それでは単なる記録に過ぎず、ある人物が持っている豊潤な〈世界〉を描いたことにはならない。一人の人物に埋まっている本質を探り、事実をもとに浮き彫りにすることによって、その人物ですら理解していなかった世界を描き出す。取材で手に入れることができる有り余るほどの細部やシーンは、それだけでは断片にすぎない。選ばれた断片をどうつなぐか。あまりに硬質な「胡桃の殻」は、中途半端な覚悟で彫ることをも拒む。

 第一の障壁について沢木は事実の発掘、具体的には西川の妻子への追加取材と、中央公論新社の編集者が保管していた手書きの元原稿の発見によって乗り越えている。西川が関心を示さず、さまざまな人の手に渡っていた元原稿は意外なほど近くに現存していたのだ。それを沢木が書籍と照らし合わせることで、新しい事実がわかってきた。書籍化にあたり、元原稿からは大幅にカットされた部分があったこと。そして単純だが、決定的な誤植があり、それによって描かれている人物の関係性まで変わってくることがわかった。

 沢木がかつて録音していたインタヴューテープの中には、シーンを再現する言葉だけではなく、巡った土地で何を思い、何を考えていたのか。西川の心情にピントを合わせた質問が多く含まれていた。これらの資料を組み合わせれば、旅の行程は辿ることができる。沢木の文章ならば、西川のそれ以上に巧みに再構成をすることが容易であったことは間違いない。

 そこに第二の障壁が立ちはだかる。沢木は方法の作家だ。方法の冒険を繰り返し、まったく新しいノンフィクションの地平を切り拓いてきた。だが、作品の中で読み手に方法を意識させることはない。方法論は強固な文章のなかに渾然一体と溶け込み、巧みな構成によって構築された世界へと誘う。読み手は種明かしをされたマジックのように、後から随所に張り巡らされた仕掛けに気が付くことになる。しかも、同じ方法やテーマを繰り返すことをしない。

 池田勇人政権の「所得倍増計画」に関わったエコノミスト・下村治らを描いた『危機の宰相』(文春文庫)という作品のなかで、一人称と三人称を混在させてしまったことに方法として「不満」が残ったという沢木は、徹底した三人称で『テロルの決算』を書き終える。だが、そこでもなお小さくない不満が残っていたと記している。方法は書き手と作品との間に緊張を与える。方法を課すことによって、簡単に揺るぐことがない強い文体とシーンの記述を獲得することはできたが、一つの方法に縛られることで描き損ったものもあるのではないか。

 完璧な三人称の対極にある、完璧な一人称で描いた『一瞬の夏』は未開の地へと踏み出す冒険的作品でもあった。

 どうしても三人称で描かざるを得ない「私」が不在の出来事を一切描かず、「私」が見たものだけ、「私」が深く人生にかかわるカシアス内藤というボクサーを描く。すなわち、作品の世界に自らを投げ込むこと、自身が〈世界〉を生きていくことによってのみ「シーン」を得て、文章において再現していくという方法である。「私」がただ観察者として存在するのではなく、「私」が主体となることによって作品は成立する。『一瞬の夏』における「私」は、ナルシスティックな私小説や一人称を語り手に据えたフィクションでもない。事実に準じるという厳密なルールを自覚することによって、虚構とは異なる世界を記述する最終的な責任を負う。

 彼のノンフィクションにおける方法の冒険は、この2作で最初の到達点を迎える。

 本作を一読すればわかるように、少なくとも「人称」において徹底した方法は取られていない。それどころか序盤と終盤においては「私」が登場して西川と過ごした時間が意識的に語られ、彼が「ロブサン・サンボー」として生きた第二章「密偵志願」以降、基本的に三人称が採用されているばかりか、沢木が自ら調べたファクトをもとに西川の記述における事実誤認の修正や解説が加えられている。ある方法にこだわったシーンの獲得も、「完璧」な人称も最初から放棄されている。それでも本作において沢木が描きたかった西川の「物語」は、圧倒的な強度で存立しているのだ。

「胡桃の殻」の謎は、ここに解答につながるヒントがある。かつての沢木ならば、それは無意識の人称の使い分けだった。なぜここは「私」で、なぜそのシーンにおいて「神の視点」から構成が必要だったのか、と書き終えた自身に問いかけても明確な答えは出せなかったに違いない。だが、本作は違う。取材で得たシーン、再現したシーン、そして西川の心情まで緻密に描き分けられている。その選択は沢木の過去の作品に比べて、圧倒的な自由が宿っているのだ。

 沢木耕太郎ノンフィクション8「深夜特急ノート」の中に、こんな一節がある。

「未知の国を旅する人は牢獄に捕らわれた囚人のようなものだ。/そこで生きていく方法をひとつずつ学んでいくことで徐々に自由を獲得していかなくてはならない」

 かつての沢木は自らに制限を課すことによって、大きな自由を得ようとしていた。ルールは緊張感と創造性を与えるからだ。では、かつて課したルールから解き放たれるというルールを課したとき、一体何が描けるのか。

 ノンフィクションの世界で生きていくために、一つずつ方法を身につけていった書き手は、文体の冒険においても自由を獲得した。沢木が追い求めてきた方法とテーマへの冒険は、作家として後期に差し掛かった今、ノンフィクションの方法をもっとも自由に使い分ける作品を描き出したように思えるのだ。

 こう言い換えてみよう。沢木は方法上の極点の先に、かつて戦慄するばかりだった「胡桃の堅牢な殻」をも踏み抜く方法を見つけ出した、と。

新潮社 新潮
2022年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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