「やめたいのにやめられない」そういう負のループで悩んでしまう原因とは? 茂木健一郎が紹介する世界的ベストセラー

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ドーパミン中毒

『ドーパミン中毒』

著者
Lembke, Anna, 1967-恩蔵, 絢子
出版社
新潮社
ISBN
9784106109690
価格
1,210円(税込)

書籍情報:openBD

「ドーパミンの沼」から「人間」を取り戻す

[レビュアー] 茂木健一郎(脳科学者)


快楽の後には苦痛が待っている(写真はイメージ)

スタンフォード大学教授のアンナ・レンブケが発表し、世界的ベストセラーとなった『ドーパミン中毒』が日本に上陸。依存症医学の世界的第一人者が、数々の患者たちのエピソードを取り上げながら、依存症との向き合い方を解説する本作を、脳科学者の茂木健一郎さんが紹介します。

茂木健一郎・評「「ドーパミンの沼」から「人間」を取り戻す」

 人間の脳を考える上でドーパミンは最も重要な神経伝達物質の一つである。脳の「報酬系」の活動を担い、放出されると快楽を感じ、神経細胞の結合が強化される学習が進む。ドーパミンが出る方向に人間が変わっていってしまうのだ。

 ドーパミンをうまく活かせば、無限の学びを支えることができる。一方で、付き合い方を間違えると「沼」にハマり、人間として堕落していってしまう。脳内の「ドーパミン経済」においては、天国と地獄が紙一重のバランスで分かれるのだ。

 本書『ドーパミン中毒』には、依存症に陥ってしまった極端なケースが登場し、読者を驚かせる。しかし、どの事例も依存症医学の世界的な第一人者であるスタンフォード大学教授、精神科医のアンナ・レンブケが実際に出会った人たちなのだ。

 人間は、苦痛と快楽の間で揺れ動く。そのバランスのとり方を、本書は教えてくれる。その際に大切な考えが、「セルフ・バインディング」。自分自身を見つめ、客観的に観察することで、依存への安易な道をたどることを避けるのである。

 快楽は脳にとって大切だが、野放図に追い求めれば良いというものではない。運動は苦しいが、スポーツをやっていた人は薬物依存症になりにくい。快楽主義をつきつめると「無快感症」になってしまう。ギャンブルでは、負ける時にもドーパミンが上昇し、その上で勝つと大きな喜びを感じる「損失追跡」と呼ばれる現象が見られる。

 インターネットを通して「デジタルドラッグ」とも呼ばれるドーパミン系を刺激する情報が氾濫する現代において、私たちは「熱帯雨林の中のサボテン」のような状況に置かれている。かつてはそれほど存在しなかった快楽の源が生活の中にあふれているのだ。

 だからこそ、苦痛と快楽のシーソーのバランスを測り、安易な快楽の充足を避ける「セルフ・バインディング」こそが「自由になるための手段」となる。自分を正直に見つめることが人生の道を開くという本書の視点は、現代を生きるすべての読者にとって参考になることだろう。

 何よりも、自身も依存症を経験している著者の視点が温かい。「患者を好きになれなければ助けることはできない」という同僚の言葉を深く心に刻むレンブケさんの態度は、さまざまな現場で人間について考える上で大切なことが何かを教えてくれる。人との親密さを通してオキシトシンが分泌され、そのことでドーパミンが程よく放出されるという本書の記述の中に、現代人にとっての生きるヒントが隠されているように思う。

 訳文はとても読みやすく内容がすっきりと頭に入ってくる。さまざまな刺激が過多の現代文明において、「ドーパミンの沼」から「人間」を取り戻すための叡智が伝わってくる良書である。

新潮社 波
2022年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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