ブラックミックスでゲイの若者を通して差別構造を炙り出す
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)
『新潮』と『すばる』(ともに11月号)、『文藝』(冬季号)で新人賞の発表があった。文藝賞受賞作である安堂ホセ「ジャクソンひとり」に注目したい。
主人公ジャクソンは、ブラックミックスでゲイの若い日本人男性である。選考委員のひとり角田光代の言葉を借りれば、ジャクソンは「マイノリティのなかのマイノリティ」であり、小説の主題は、マイノリティが日本社会から向けられている差別意識ということに自ずとなろう。
この作品の美点は、ユニークだが必然性を感じさせる手法で、差別の構造を描こうとしたことにある。
あるときジャクソンのロンティー(Tシャツ)にプリントされた模様を会社の人間のスマホカメラが捉える。その模様はQRコードになっており、リンク先にはジャクソンと思しき男が陵辱される動画がアップされていた。
ジャクソンは自分じゃないと否定したが、見た途端「それが自分だと察した」。記憶はなく、そのロンティーがなぜ自分の元にあるのかもわからないが、「日本で、この外見でこんなふうに扱われるのは、ジャクソンひとり」だからだ。
ところがジャクソンはひとりではなかった。QRコード付きロンティーと陵辱動画は、ジャクソンと、彼にそっくりの男たち3人を巡り合わせる。「二人目のジャクソンが現れたと思ったら、さらに二人追加で、ジャクソン四人」。
ジャクソンたちは「入れ替わっちゃう」作戦で「復讐」することを思い付く。
4人はそれぞれ「全く別人」なのに、「純ジャパ」には同一人物にしか映らない。作戦は、日本の社会が彼らのような存在を人種という属性で捉えていることへの批判・皮肉であり、個人と属性という「距離にこだわ」って差別構造が炙り出されていく。
ジャクソンと似た境遇ながら作者が三人称を採用したのは、一人称では当事者性の外に立つのが難しいからだろう。映像喚起的であるのも作者の狙いであり、監督主演作と見なしてもよさそうだ。
荒削りだが、原石を見出すのが新人賞の役目だとすれば、見事な授賞である。