<書評>『夏日(かじつ)狂想』窪美澄(くぼ・みすみ)著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

夏日狂想

『夏日狂想』

著者
窪, 美澄
出版社
新潮社
ISBN
9784103259268
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

<書評>『夏日(かじつ)狂想』窪美澄(くぼ・みすみ)著

[レビュアー] 青木千恵(フリーライター・書評家)

◆「書く」に終生終わりはない

 詩人、批評家、作家と恋をし、自らも「書く人」として生きた、一人の女性の生涯を描く長編小説である。

 物語の主人公、野中礼子は、明治三十七(一九〇四)年に広島の種苗問屋の一人娘として生まれた。ハイカラ好みの父のもとで演劇や活動写真に親しみ、女学校に通っていたが、十四歳のときに父が急死し、旧弊な伯父の保護下に置かれて生活が一変する。女優を志して上京、関東大震災の発生で京都に越し、三歳年下の水本正太郎と出会う。水本は、詩人として稀有(けう)な才能を抱いていた。礼子は水本と同棲し、再び上京するが、帝大生の片岡と出会い、水本と別れることになる。

 <水本と片岡が自分と思われる女を自らの作品世界に登場させているのを読めば、その描かれた像と本当の自分は綺麗(きれい)に重なりはしない。(略)いったい自分はどこにいるのか>。片岡とも別れ、女優の仕事で芽が出ず、酒場の雇われマダムになり、遠回りをしながら礼子は文章を書き始める。水本と片岡が名をあげるに従い<二人の男を手玉にとり、捨てた女>と噂(うわさ)されたが、礼子は書き、生きた。

 <落ちてくる焼夷(しょうい)弾をくぐり抜けるように駆け抜けているとき、女の自分も戦場にいる>。大正デモクラシーが潰(つい)え、日本は開戦し、原子爆弾が落とされた。大正から戦後の昭和にかけてを描くにあたり、当時の「文士」と出来事に取材しているが、著者が描くのはその時代を生きた人々と、自分も含めた人々の思いを書かずにはいられなかった「書く女」の姿だ。しまいこまれ、焼かれた原稿、原子爆弾で亡くなった少女、ついに書かれることのなかった記憶と体験。<君はその地獄に共に降りてきて、亡者を透明な瞳でただ見守る>と言われる礼子と同じ目で、著者はもうこの世にいない人々の姿を描いていると思う。

 本書は、著者の直木賞受賞第一作だ。<小説を書く、というこの仕事には終生終わりがない>というのは、著者の共感だろうか。先人とその時代に取材し、新たな一歩を踏み出した一作である。

(新潮社・1980円)

1965年生まれ。作家。『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞。『夜に星を放つ』で直木賞。

◆もう1冊

長谷川泰子著、村上護編『中原中也との愛 ゆきてかへらぬ』(角川ソフィア文庫)

中日新聞 東京新聞
2022年11月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク