山本直樹×佐賀 旭 森恒夫が特別な人だとは思えなかった

対談・鼎談

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山本直樹×佐賀 旭 森恒夫が特別な人だとは思えなかった

[文] 砂田明子(編集者・ライター)

山本直樹×佐賀 旭 森恒夫が特別な人だとは思えなかった

山本直樹、佐賀 旭
山本直樹、佐賀 旭

今から50年前、若者は社会運動に身を投じ、政治に熱狂していた。対して今の若者は政治に、未来に希望を持てないでいる。何が変わってしまったのだろうか。その答えを見つけるには、「全てが変わった」と言われる連合赤軍事件と向き合わねばならない――。
1972年、「あさま山荘」で警察と銃撃戦を繰り広げ、「総括」によって同志12人のリンチ殺人を行った、新左翼組織の連合赤軍。そのリーダー・森恒夫(つねお)の足跡を、当時の森と同年代の佐賀旭さんがたどり、政治と若者、そして今日まで続く暴力の問題に切り込む『虚ろな革命家たち――連合赤軍森恒夫の足跡をたどって』は、第20回開高健ノンフィクション賞を受賞しました。
刊行にあたり、佐賀さんが対談を希望したのは、『レッド』(シリーズ全13巻、講談社)で連合赤軍を描いた漫画家・山本直樹さんです。30歳の佐賀さんと62歳の山本さん。
二人の森恒夫像、共通するオウム事件への関心、そして、あの事件の普遍性とは。

佐賀 旭
佐賀 旭

三里塚の「鉄塔」を見て、
学生運動が“今”とつながった

佐賀 今日はありがとうございます。僕とは世代の違う山本さんが、どういう思いで『レッド』を描かれたのか、それを知りたいと思って、対談をお願いしました。今回、連合赤軍のリーダー、森恒夫をテーマに作品を書くに当たり、『レッド』も読ませていただきました。

山本 ありがとうございます。僕が『レッド』を描くきっかけはオウム真理教の事件(1995年、地下鉄サリン事件)だったんです。世界をよくしたいと思った人たちが、とんでもない事件を起こした。その中には高学歴の若者もいたわけで、何でこんなことになったんだろうと興味を持ったものの、当時は、オウムの当事者たちの本がなかったんですよね。で、似たようなことがあったなと思い出したのが学生運動だった。いろいろ読んでいくうちに連合赤軍にたどり着いて、永田洋子(ひろこ)、坂口弘、植垣康博などの当事者の本を読むと、すごく面白いんですよ。ビジュアルが頭に浮かんできて、これ、漫画にしたら絶対面白いだろうなと思ったんです。闘って敗れた人たち、というのもよかった。成功したドヤ顔の人たちの話ってつまんないですからね。

佐賀 オウム事件のとき、おいくつでしたか? 

山本 35歳ですね。

佐賀 僕も山本さんと一緒で、オウム事件には興味を持っています。といっても事件が起きた当時は3歳で、詳しく知るようになったのは大学に入ってからで、事件の本を読んだりしてジャーナリストを目指すようになりました。

山本 学生運動にはもともと興味があったんですか? 

佐賀 いえ、完全に教科書の出来事でした。その印象が、三里塚(千葉県成田市)を訪れたときにガラッと変わったんです。2017年に新聞社のインターンシップで訪れたんですが、その時に「鉄塔」や「フェンス」を目の当たりにして。

山本 まだ残ってるんですね。

佐賀 はい。空港建設に反対した住民や若者たちの運動の痕跡を見て、初めて成田空港に闘争の歴史があったことを肌で感じましたし、“今”とつながりました。同時に、僕と同年代の若者たちが、なぜ社会運動に身を投じることができたのか、未来に希望を持ち、政治に本気になれたのか、と疑問がわいたんです。その裏には、政治に関心を持てない僕たちの世代の現状があります。そこから学生運動を調べるようになって、大学院に進学して、連合赤軍という組織全般についてまとめたんですが、そのとき「森恒夫」の証言が抜けているなとすごく感じていて。

山本 ああ。逮捕された後、すぐに自殺しちゃったから。

佐賀 そうですね。だから次は、森恒夫に関する証言をなんとか集めて作品にしたらいいんじゃないかと。書く上では森達也さんの『A3』に影響を受けました。

山本 『A』と『A2』は映画で、『A3』はノンフィクションですね。

佐賀 はい。ある意味で、『A3』の連合赤軍バージョンをやってみたいと思ったんです。『A3』は麻原彰晃に焦点を定めてオウム事件を描いています。僕は森恒夫に焦点を絞って、連合赤軍事件を見てみようというスタンスで執筆を始めました。

マッチョとは、頭でっかち

―― 森恒夫は1944年、大阪府に生まれ、大阪市立大学在学中に学生運動に参加しました。本書で佐賀さんは、森の大阪の同級生や、北朝鮮に渡った後輩、連合赤軍の元メンバーたちと対話を重ね、森の実像に迫っていきます。

佐賀 山本さんが森恒夫をどう捉えていたのかも、伺いたいと思っていました。森恒夫は高校時代、剣道部に所属し、3年生で主将を務めています。僕自身にも剣道の経験があるのですが、この体育会の経験が、学生運動にのめりこんでいった理由の一つではないかと思いました。

山本 僕は中・高とバスケットをやっていたんです。だから体育会系の雰囲気はわかりますが、森恒夫の経歴や言動を見ると、マッチョな感じがすごくする。体育会系=マッチョでは必ずしもないんですが、森の場合は、根本的な精神がマッチョだったのかなあと思いますね。

佐賀 三島由紀夫に似ているな、と思うんです。自分の弱さを隠すために体を鍛える、というか。

山本 三島もマッチョでしたからね。最近、マチズモとは何だろうということをずっと考えているんですが、要するに、体でっかちではなく、頭でっかちなんじゃないかと。自分の頭で自分の体をコントロールしないと気がすまない、で、頭というのはつまり言葉のことで、言葉ですべてをコントロールしたいというコントロールフリークがマチズモなんじゃないかと思っています。だから筋骨隆々な男性じゃなくても、ひ弱な人にも、女性にもマッチョはいるわけで、広く適用できる概念だろうと思います。
 連合赤軍がやった「総括」は、自分の反省点だとか改善点を子細に挙げていく、言ってみれば自分をすべて「言葉」にしていく作業でしたよね。マチズモってある意味、魅力的なんですよ。わかりやすいし、力強いし。

佐賀 肉体を、言葉や理念が超越してしまうということでしょうか。

山本 そう。言葉のほうが、人の命よりも重くなっちゃう。自分たちが死んでも理念は残るんだ、革命は残るんだとなると、命よりも言葉が重要になってしまう。自分の命が軽くなると、人の命も軽くなっていくわけで、連合赤軍では同志殺しが起きた。

佐賀 戦争も構造的には同じようなところがありますね。

山本 そうですね。「言葉」ってフィクションなんです。一方「現実」は、人が生活して死んでいくこと。「言葉」と「現実」を混同することでややこしいことや悲劇が起きているんだけれども、その最たるものが、戦争ですよね。

佐賀 ということは、国や時代に関係なく、そうした悲劇は起こり得る。

山本 普遍的でしょうね。現実をフィクションが凌駕するといろいろな悲劇が起きるんだな、ということを『レッド』を描きながら考えていました。

佐賀 この本の取材でお話を伺った森恒夫の高校の同級生の方は、彼のイメージを「ひ弱な文学青年」とおっしゃっていたんです。実際、学生時代の写真を見ると痩せこけていて、逮捕されたときの膨れた顔の感じとはかなり印象が異なります。つまり森恒夫はどこかで変わったんだと思うんです。それはやっぱり、トップに立ったときだろうと。

山本 赤軍派は、よど号ハイジャック事件や大菩薩峠での大量逮捕で、それまでの幹部がぜんぶいなくなっちゃった。

佐賀 その結果、残った森恒夫がトップに立ったときから、変わっていったんじゃないかと。

山本 リーダーの器じゃない人がリーダーをやらされることになったことで、そのポジションに過剰適応しようとしたんでしょうね。それから、逃亡事件も影響しているかもしれません。森恒夫は明治大学和泉校舎の襲撃に参加するものの、逃げ出していますよね。そういうことがあったから、もともと頑張りすぎちゃうタイプの人が、トップになってさらに頑張ろうとして、過去の失敗を乗り越えるためになおさら頑張りすぎちゃう人になっちゃったのかなと。

佐賀 森恒夫と、連合赤軍のもう一人のリーダー永田洋子に共通するのは、真面目で責任感が強かったことかなと。

山本 だからこそ、役割に過剰適応しちゃったんでしょうね。

“一様”になると組織は滅びる

―― 革命を志す連合赤軍は「あさま山荘事件」の前に、「総括」という名のリンチ殺人を行っていました(山岳ベース事件)。なぜ仲間を殺さなければならなかったのか。本書は現在にも通じる、「個」を解体する「組織」の危うさを問いかけます。

山本 組織というか、閉じたコミュニティでは内ゲバ的なことが起きやすいんでしょうね。政治セクトでも独裁国家でも、カルトでも、あるいは学校の教室でも、同じようなことが起き得ると思います。
 だったら逃げればいいのにって、『レッド』を描いていて思ったんですが、逃げられない気持ちもわかるんです。僕も学生時代、バスケット部の練習が死ぬほどきつくても、辞められなかった。辞めたらダメ人間になっちゃうんじゃないかという強迫観念があったからです。逃げるということは、環境を含めてそれまでの自分を否定することだから、ものすごくパワーが要るんです。自己否定をし、自我の組み替えを行うのって、大変なこと。だから『レッド』では、逃げる人を丁寧に描きました。

佐賀 連合赤軍では脱出できた人もいますよね。前沢(虎義)さんとか。逃げられた人と逃げられなかった人の違いは、どこにあったと思いますか? 

山本 逃げられた人とか、植垣(康博)さんのように生き残った人は、抽象的な表現になるけど、その人の内面が閉じていなかったのではないか。革命は大事なんだけど、一歩引いて見る目とか、客観的な目線を持っている人が、生き残ったのかなと、実際に会ってみて感じました。

佐賀 僕も取材で植垣さんにお会いしましたが、よく言えば鷹揚、悪く言うと適当……みたいな印象です。

山本 そうですよね。そういう人でも総括には進んで参加せざるを得なかったわけですが、前沢さんとか植垣さんには、他者性みたいなものが感じられるんです。対して、森恒夫とか永田洋子は、すべてを内面化してしまっていたのかなと。

佐賀 連合赤軍には、世界をどうにかしなければと考える、ある意味、真面目な人たちが集まっていた。その中でも森恒夫や永田洋子は、他者性がなかったと。

山本 革命とか戦争は、そういう人でないとできないのかもしれませんけれども。

佐賀 一方で、隘路にはまりやすいところがあるんでしょうね。

山本 連合赤軍に、思い切りおじさんとかおばさんが混じっていたらどうなっていたのかと考えることはあるんです。例えばベ平連(「ベトナムに平和を! 市民連合」)はわりと成功した市民運動だと思いますが、小田実(まこと)のようなおっちゃんから学生までが参加していた。対して連合赤軍は、反対意見を持つ人を殺したりとか、異質なものをどんどん排除していった結果、ああいう悲惨な結末を迎えましたよね。

佐賀 昔、吉岡忍さんに聞いた話を思い出しました。若い頃の吉岡さんがベ平連にいたとき、スパイを取り締まろうと提案したことがあったと。でも、年長の小田さんが、それはやめようと言ったと。

山本 なるほど。組織ってやっぱり、一様になると滅びちゃうんじゃないですか。でも一様にしたくなるという思考や欲望はどの組織にもあるものです。その考え方もまた、マチズモだと思いますけどね。自分と違う考えの人がいることが我慢できない、というのは。

佐賀 今の日本社会の多様性の問題にもつながりますね。

山本 そうですね。今の日本って、同質で固めようという力や声が大きくなりがちですよね。多様性と言いながら、そうなってないなあと。なってないから多様性って言うのかなあ。

受賞の報せの2日後に起きた、
銃撃事件

―― あさま山荘事件の直前に森恒夫は逮捕され、獄中で自殺します。なぜ森は自殺したのか。佐賀さんは森が獄中で貪り読んでいたという聖書をたよりに、ひとつの「答え」を導き出します。

佐賀 『レッド』を描かれていたとき、山本さんは消耗されましたか? 

山本 僕は山岳アジトでのリンチと、その後、軽井沢へ入るための妙義山越えがいちばん描きたかったんです。だからあさま山荘事件のあたりは燃え尽きていて、早く終わらなきゃと思いながらやっていたところはあります。ただ、メンタル的な消耗はなかったですね。暴力シーンを描いたことがなかったので、それが大変だったというのはあったんだけど。

佐賀 僕は、森恒夫がどうして死んだのかをひたすら考えていたので、けっこう消耗しました。

山本 取り込まれるみたいな感じがありました? 

佐賀 ありましたね。僕は大学院を卒業後、就職したものの仕事を辞めて、本になるかもわからないような取材を続けていたわけで、客観的に見たら、狂気と言いますか、おかしい人ですよね。その熱意がどこから来るんだろうと考えたときに、28歳で自殺した森恒夫の狂気と、どこか共通するものがあるのかなと思ったりもしたんです。年齢が近かったことも影響していると思うし、ある程度、共感しないと書けないと思っていたというのもあります。そういう意味でも、森恒夫が特別な人とは思えなかった。

山本 僕も特別な人ではないと思います。連合赤軍の活動100パーセントで生きて来た人が、それを否定されたからゼロになるしかないということで、自殺したのかなとは思いますが、あの自殺は、自我の組み替えに失敗したという見方もできると思うんです。ただ、どんな人も成長の段階で自我の組み替えをしていて、時にそれに失敗して、引きこもったりすることがあるわけですよね。自我の組み替えは成長や変化の契機ではあるけれど、必ずリスクを伴うという意味で、森恒夫のやったことは極端な例だけれども、他人事ではないと思います。

佐賀 そうですね。ハンナ・アーレントがアイヒマンの裁判を記録して「悪の凡庸さ」と書いたように、「普通の人」たちがどうしてああいう殺人をやってしまったのか、そのメカニズムやプロセスをたどっていく必要があると感じています。

山本 ただ、あさま山荘事件と、三菱重工爆破事件(1974年、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件)の衝撃で、学生運動というのは完全に、普通の人がやることじゃないものになってしまった。そこから50年、政治に関わるのはカッコ悪い、面白ければいいという時代が続きましたが、やっぱりそうじゃなかったよなと思って、最近は僕も、政治的な発言をツイートしたりしているんですが。

佐賀 連合赤軍事件が起きて政治に対する失望感が広がり、オウム事件が起きて、宗教に対する失望感が広がりました。では今の僕たちに何があるのか……。実はこの作品が開高賞を受賞したという嬉しい報(しら)せの2日後に、安倍晋三元首相の銃撃事件が起きました。政治と暴力の問題は、場所や時代を問わず、社会に生きるあらゆる人々の問題であることが再び突きつけられたわけで、連合赤軍事件を今考える意味の大きさを改めて感じています。ただ僕は、この数年間、この本にすべてを注ぎ込んできたぶん、燃え尽きていて……。山本さんはどうでしたか? 

山本 『レッド』を描き上げたとき思ったのは、これでエロ漫画が描けるぜ、です。次はオウムですね、って言う人もいたけど、僕はやりませんよと。佐賀さん、やったらいいんじゃない? 

佐賀 オウムに興味はありますが……、今関心があるのは二・二六事件です。若者はなぜ体制に反旗を翻したのかを書いてみたいなと。これからも、若者と政治について考えていくことになるんだろうと思っています。

山本直樹
山本直樹

佐賀 旭
さが・あさひ●ノンフィクション作家。
1992年静岡県生まれ。明治大学卒業後、早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻ジャーナリズムコース修了。日刊現代入社後、ニュース編集部で事件や政治分野を担当。2019年退社。以後『週刊現代』や『週刊朝日』を中心に記者として活動している。

山本直樹
やまもと・なおき●漫画家。
1960年北海道生まれ。早稲田大学教育学部卒。1984年、「森山塔」名義で成人向け漫画家としてデビューしたのち、同年に「山本直樹」名義で『私の青空』を発表しデビュー。主な作品に『BLUE』『ありがとう』『フラグメンツ』『堀田』『分校の人たち』『田舎』等多数。連合赤軍事件を題材に、2006年から2018年まで12年にわたって描き上げた『レッド』は、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。

構成=砂田明子/撮影=chihiro.

青春と読書
2022年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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