岡田准一がナレーションを担当! 世界屈指のクライマー・山野井泰史の姿を追う映画『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』武石浩明監督インタビュー

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岡田准一がナレーションを担当! 世界屈指のクライマー・山野井泰史の姿を追う映画『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』武石浩明監督インタビュー

[文] カドブン

山野井泰史を知っているだろうか。
単独、無酸素、未踏のルートで数々の山の頂を落としてきた日本を代表するクライマーである。
未踏の過酷な道に挑戦し、生命を落としてしまうクライマーが多い中、なぜ山野井は生きて還り続けてこられたのか? その姿を四半世紀に渡って追う武石浩明監督が手掛けたドキュメンタリーがついに公開。
山野井泰史に惹かれる理由を聞いた。

96年にマカルー西壁に挑む、山野井泰史の姿。その挑戦の行方は…
96年にマカルー西壁に挑む、山野井泰史の姿。その挑戦の行方は…

■山野井さんとの最初の出会い

――世界屈指のクライマーである山野井泰史さんの軌跡と現在を描く、本作の完成、おめでとうございます。「TBSドキュメンタリー映画祭2022」で公開されてから、岡田准一さんのナレーションによる参加などのお色直しを経ての「完全版」の公開になりますが、そもそも最初に山野井さんに出会われたのは、どんなことがきっかけだったのでしょうか。

武石浩明監督(以下、武石):僕は学生の頃に山岳部に所属していまして、実際に山登りも好きで、『岩と雪』というロッククライミングの雑誌をずっと読んでいたんです。なので、精力的に数々の山に挑戦する山野井さんの存在は以前から知っていました。その後、僕は91年にTBSに入社するのですが、その年にフリークライミングのワールドカップが日本で初めて開かれたんです。僕は入社したてではあったのですが、それを情報番組で紹介したんですよね。そこで会場の鉄骨を組み立てるアルバイトをされている山野井さんにご挨拶したのが、最初の出会いでした。

――それは偶然だったのですか?

武石:いや、狙っていましたね(笑)。山野井さんが来ることをリサーチして知ったんです。数年後、山野井さんが94年にチベットのチョー・オユー南西壁を新ルートから単独で初登し、いよいよヒマラヤのマカルー西壁に登るらしいということを人づてに聞きました。それで95年に山野井さんに、ぜひ取材したいという交渉をし、許可をもらったんです。

山野井は単独、無酸素、未踏のルートで登り続けてきたクライマー
山野井は単独、無酸素、未踏のルートで登り続けてきたクライマー

――山野井さんは当時、テレビドキュメントへの出演に対して、抵抗感などはなかったのでしょうか。

武石:全くなかったかと言えば、そうではないと思います。しかし、それ以上に、当時の彼には、世間に無酸素、単独の最先端の登山を見せたい強い気持ちがありました。それとは別に、僕自身も当時ヒマラヤに登っていたので、山野井さんとの間に「山」という共通言語があって、それも今に至るまで撮影を許可してくれている理由なんじゃないかな思います。

――本作では、山野井さんが96年に「ヒマラヤ最後の課題」と称されるマカルー西壁に挑戦する姿を捉えた映像がハイライトとして収められています。しかし、山野井さんはマカルーで敗退し、この壁は現在に至るまで前人未到です。

武石:当時の山野井さんは、マカルーに登れるのは俺しかいないとまで言い切っていました。けれど、ヒマラヤでその壁を目の当たりにして、恐怖に飲み込まれ、精神と身体がボロボロになり、敗北します。本人も敗退に打ちひしがれていたし、僕らとしても失敗をどうドキュメンタリー番組にするかは非常に難しい問題でした。とはいえ、僕は以降も山野井さんのネクスト・ワンを狙い続けていたんです。

ギャチュン・カン北壁で失った手の指。この指でもクライムを続ける
ギャチュン・カン北壁で失った手の指。この指でもクライムを続ける

■手足の指10本を失う凍傷とそれ以降

――山野井さんにとって、次の大きな登攀が02年、チベットのギャチュン・カン北壁です。山野井さんは登頂に成功するものの、嵐と雪崩による凍傷で手足の指10本を失っています。

武石:そのギャチュン・カンでの彼の姿を描いたのが、作家・沢木耕太郎さんの著書『凍』ですよね。当時、僕も山から帰還し、入院している山野井さんと連絡を取り合いつつ、いつか「山野井泰史」という人間の姿をドキュメントにしたいと思っていました。
たまたま昨年、山野井さんのご自宅に遊びに行って、僕から「マカルーから約四半世紀が経ちましたね」と言って、そして「もう一度、山野井さんのドキュメントを作りたいんです」と言ったら「武石さんの気が済むようにしたら?」と呆れられてしまって…(笑)。

――(笑)。

武石:そこから生まれたのが、昨年放送のテレビドキュメンタリー『登られざる巨壁』ですね。その後、山野井さんが、世界の登山界最高の栄誉と言われる、「ピオレドール生涯功労賞」を受賞されたのも契機になり、同作に追加撮影、再構成を加えたのが、この『人生クライマー 完全版』です。

――どんなことをテーマに撮影されていきましたか。

武石:彼の山と生きる人生を描くことに重きをおきました。彼自身の生への執着も捉えたかったし、山野井さんはとにかく山というものを愛している人。そして未知の挑戦に臨む、不屈の精神はソロクライマーを辞めてもなお、たぎっている。それを捉えたかったんです。

「登山界のアカデミー賞」と言われるピオレドール生涯功労賞を受賞して笑顔
「登山界のアカデミー賞」と言われるピオレドール生涯功労賞を受賞して笑顔

――監督の「ソロクライムをもうやらないのでしょうか」という問いに対して、指を失ったことで、それが叶わないけれど、ソロクライマーであるご自身もいる…その複雑さを滲ませる山野井さんの姿が辛かったです。

武石:実際、11年を最後に山野井さんはソロを止めるわけですが、それまでの30年くらいは、ソロクライムをやり続けていたし、それが身に染み付いている人なんです。だから忸怩たる思いは今でもあるんですよね。
一方で、ソロとは違い、彼と一緒に山に入ると、ガラリと顔が変わって、同行者である僕らの安全を常に確認し、神経を張り巡らせて登るんです。僕も一緒に登らせてもらいながら、いつもそれを感じますし、山野井さんが山に一緒に登ったパートナーを、誰ひとりとして死なせていないのは本当にすごいこと。だから、何度となく、ともに山に入っている妙子さんも、山野井さんについて並外れた危険回避能力があると仰ってます。

――そこは山野井さんご自身の性質なんでしょうね。

武石:おそらく、30年かけて、築き上げたスタンスなのかな、と。若いときにトライアンドエラーを何度も繰り返している中で培われたものだと思います。

山野井と妻の妙子。二人はパートナーとして、数々の登攀に挑戦している
山野井と妻の妙子。二人はパートナーとして、数々の登攀に挑戦している

■夫婦の関係性を学ぶドキュメント

――山野井さんが、奥さんでクライマーの妙子さんと静岡県・伊豆で畑を耕し、海釣りをし、生活を送る姿も描かれていて、山での緊迫感ある姿とは、別の一面も感じられます。二人の関係性が素晴らしかったです。ただ、クライマーでない奥さんだったら、山野井さんのことをもっと心配しそうですよね(笑)。

武石:言葉では心配しないですよね(笑)。妙子さんもクライマーだからこそ、山野井さんが山に人生を賭けたいと思ったときに、彼女以上のパートナーはいないんじゃないかと思います。ただ、妙子さんは山に詳しくないんです(笑)。計画を立てるのはすべて山野井さん。一方、現地でご飯を作ったりするのは妙子さんの仕事で、そんなふうに役割が明確にある。そこがいいんでしょうね。山野井さんは自分と同じタイプの人間が山のパートナーだったら、絶対にうまくいかないとよく言ってますね。

――山野井さんと妙子さんは、出会うべくして出会った二人ですね。

武石:そうかもしれません。登り方もそうですし、生活でも二人は徹底して無駄を省いているように見える。ご飯一粒だって残さないし、どこかで拾ってきたような竿で魚を釣るくらい(笑)。けれど、彼らに節約している自覚がないのもおもしろいんです。

■山における「生」と「死」を描く

――そうした山野井さんの軌跡や登山、生き方を描く中に、映画『エベレスト 神々の山嶺』への出演経験がある岡田准一さんの「語り」が加わったのも今回の「完全版」のポイントです。

武石:岡田さんは、山への理解もすごくあるし、落ち着いたトーンの声が魅力的で、すごく映像に合っていました。今回が初ナレーションだとはとても思えませんでしたね。
まず、岡田さんって皆さんが知る通り、妥協しない男ですよね。たとえば、武術やアクションも本当に彼自身が好きだからこそ研鑽している。そこは山野井さんの生き方にも通じる気がします。また、岡田さんは映画でも紹介されているクライマーの今井健司さんと親交があって、一緒に山に登っていたそうなんです。しかし、今井さんは15年にソロでヒマラヤに挑み、行方不明になってしまう。岡田さんの今井さんへの想いも、本作出演の理由の一つにあったんじゃないかなと思います。

――今井さん含め、数々の登山家たちの姿、その死も本作で語られます。山野井さんの著書『アルピニズムと死』でも、なぜ死の可能性がある登山に、これほど人が魅せられるのかが、書かれていますが、監督は登山における「死」をどうお考えになっていますか。

武石:この作品でも、山野井さんと関わった6人の亡くなった方たちの名前や映像が出てきます。やはり「死」は登山と切っても切り離せないもの。山においては、死のリスクは非常に高まるうえ、人の命を危険に脅かす可能性もある。ではどうやってそのリスクを下げられるのか。その答えは映画の中のありとあらゆる箇所に出てくると思うんです。その意味では、「彼は何故、生きて還り続けられたのか?」という言葉の、僕なりの答えがこの映画にはあります。

――山野井さんがそうした仲間たちの死を語るときの目も印象的でした。

武石:山野井さんは、山での死を美化も、否定もしないですよね。そのときにいつも言うのは「気持ちはわかる」という言葉。実際、僕も友人や仲間を山で失いました。たとえば、心を蝕むほどの深い孤独感など、ソロで山に挑む人の価値観ってそれをやったことのある人しかわからない面もあると思うんです。そして、矛盾するようですが、そこに山登りをしない人にもわかる、普遍的な何かがある気もしていて、それを映像にしていきました。

――逆に、監督は山で「生」を実感するのは、どんなときですか。

武石:やはり頂上に立つ瞬間ですよね。山野井さんも頂上というのは大事だと言っていました。けれど、頂上に登ればなんでもいいわけではなくて、そこに至る過程が大事なんですよね。より厳しいところをシンプルなスタイルで行く、その過程を山野井さんはいつも考えているんです。

■誰かの記憶に残る仕事をしたい

――ところで、この映画では山野井さんへのインタビューが、非常に緊張感に満ちたものでした。ああいった表情や言葉を捉えるうえで、何を大切にされましたか。

武石:まず、この「完全版」のために、インタビューは最小限しか行っていません。また同じような質問も、自分に禁じていました。つまり馴れ合いのようなものにはしたくなかったんです。さらに、追加撮影をするうえで、複数人での取材も抑えました。山野井さんは決して怖い人ではなく、むしろサービス精神旺盛な人。複数で向き合うと気を遣わせてしまうので、ほぼ僕が一眼カメラを回して、話を聞いているケースも多かったです。

――なるほど。その制作で、とくに大変だったことを教えてください。

武石:マカルー西壁と現在の山野井さんの姿を、どう対比するのかという構成に最も悩みました。観た方に面白かったと思ってもらいたい一心で作っていたので、いろんな人から編集に関してアドバイスをもらったんです。何度も作り直したんですけれど、結局、最初のものにしました。客観性を入れるのも映像作りでは大事ですが、今回においては魂を込めて作った最初のものがいちばん良かったんです。

――公開後の反響が楽しみですね。あらためて、監督がお仕事をされるうえで大事にされているポリシーは何ですか。

武石:シンプルに思うのは、誰かの記憶に残る仕事をしたいということですね。僕はTBSに入社して30年以上経ちますが、それを積み重ねることによって山野井さんじゃないですが、自分なりの頂上も見えてくるのかな、と。そういうこともこの山野井さんのドキュメントで伝えたかったんです。山野井さんの生き方が、僕にも影響を与えているんだと映画の制作を通して実感しました。

――この映画作りは、ご自身にとってどのようなものになりましたか。

武石:映画を作れば、僕が死んでも作品が残りますよね。いま、この映画に関しては、やり遂げた思いがあるので、思い残すことがありません。何かを後進に伝えていくということもこれからはしていきたい。そう思うと、まだまだ僕のジャーナリスト人生もおもしろいことができるのかなと考えています。

■『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』

『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』
出演:山野井泰史 山野井妙子 ほか
語り:岡田准一 監督:武石浩明
配給:KADOKAWA

11月25日より角川シネマ有楽町ほかにて全国公開
https://jinsei-climber.jp/

©TBSテレビ

INTRODUCTION
2021年、登山界のアカデミー賞と称される「ピオレドール賞」の生涯功労賞をアジア人として初受賞したクライマー・山野井泰史。ラインホルト・メスナーやヴォイテク・クルティカなど世界の名だたる登山家に並んで、クライミングの歴史にその名を刻む彼は、世界の巨壁に「単独・無酸素・未踏ルート」で挑み続けてきた。山野井の足跡を、貴重な未公開ソロ登攀映像や、妻・妙子への取材、関係者の証言などとともに振り返る渾身のドキュメンタリーが誕生。

■プロフィール

Hiroaki Takeishi
1967年生まれ、千葉県出身。ジャーナリスト。91年にTBSテレビに入社以降、朝の情報番組「モーニングEye」や夕方のニュース番組「ニュースの森」の特集を担当するディレクターとして、阪神大震災、オウム真理教事件、北極、ヒマラヤなどを取材。近年は、13年にニュース番組「Nスタ」のチーフプロデューサーを、14年に情報番組「あさチャン!」チーフプロデューサーを歴任。その後、報道局社会部長などを経て、21年には、GReeeeNのドキュメント『GReeeeN初告白 東日本大震災5年にHIDEが語っていたこと』の監督を務めた。

■「孤高のクライマー」山野井泰史とは…?

1965年生まれ、千葉県出身。山野井が最初に山を志したのは、10歳で観た映画『モンブランへの挽歌』がきっかけだったという。高校卒業後、アメリカ合衆国のヨセミテに渡り、世界の壁への挑戦をスタート。90年にはフィッツ・ロイ(アルゼンチン)で冬季単独初登や、94年にはヒマラヤのチョ・オユー南西壁(チベット)で新ルートの単独初登などの登攀を成功させる。
しかし、96年にヒマラヤ、マカルー西壁(ネパール、チベット)に挑戦するも敗退。その後、ヒマラヤ、ギャチュン・カン北壁(ネパール、チベット)の登頂に成功したが、両手足の指10本を凍傷で失う。
08年には奥多摩湖の登山道で熊に襲われて、右腕20針、顔面70針を縫う重傷を負うも再起。21年、アジア人初のピオレドール生涯功労賞を受賞。著書に『垂直の記憶:岩と雪の7章』(山と渓谷社)、『アルピニズムと死:僕が登り続けてこられた理由』(同)など。57歳にして世界の壁に挑戦する現役のクライマーである。

KADOKAWA カドブン
2022年11月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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