<書評>『戦時下、占領下の日常 大分オーラルヒストリー』エドガー・A・ポーター、ランイン・ポーター 著

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戦時下、占領下の日常

『戦時下、占領下の日常』

著者
エドガー・A・ポーター [著]/ランイン・ポーター [訳]/菅田絢子 [訳]
出版社
みすず書房
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784622089988
発売日
2022/09/05
価格
4,070円(税込)

書籍情報:openBD

<書評>『戦時下、占領下の日常 大分オーラルヒストリー』エドガー・A・ポーター、ランイン・ポーター 著

[レビュアー] 御厨貴(東京大学先端科学技術研究センター客員教授)

◆空襲、進駐…生活のすぐそばに

 読後感は重い。大分県という地方にフォーカスをあてながら、あの戦争の前後の日常生活を追跡する中で、いつの間にか国家との関係性の中に位置付けられている国民の姿を描き出す。過去の新聞や証言はもとより、ここ数十年に紡ぎ出された大分県民のオーラル・ヒストリー的アプローチが光っている。

 何よりもあの戦争の終結に当たって、最高戦争指導会議の六名のメンバーのうち三名−梅津美治郎(よしじろう)、阿南惟幾(あなみこれちか)、豊田副武(そえむ)−の軍人がみな大分県出身であり、戦争継続論者だったこと、大分県を本拠地とした宇垣纏(まとめ)中将も戦争継続論者で、日本最後の特攻隊を率いたこと、そしてミズーリ号での降伏文書に署名した二名の使節−重光葵(まもる)と梅津美治郎−が大分出身であることの指摘にあらためて大分県という地方の戦争への運命的出会いを思わずにはいられない。

 戦時下でも占領下でも、大分の人々の生活は新しい事態に否(いや)も応もなく対峙(たいじ)することを余儀なくされ、最初は感じた違和感が次第に日常化され、あたりまえになっていくありさまが、幾重にもわたる証言から分かる。戦後の価値観で戦前の日常性を否定することはできない。毎日を生きる以上、ある種の肯定的感情を持って当然なのだ。それでも戦後多くの人々はあの時代を思い出し語るまでに人生の大半を費やすことになった。

 空襲の日常化は敵機と逃げ惑う人々との目が合うほどの接近を意識させ、破壊する施設がないため米軍機がわざと人間をいたぶるように攻撃するとんでもない事態をも冷静に観察するようになる。進駐する米軍に何をされるか分からぬ恐怖、「パンパンガール」があたりまえとなる日々、人々の日常はそれでもたくましく過ぎていく。

 幾層にもわたる日常の描写の中で、ハワイ出撃、沖縄戦対応、本土決戦対応といった大分県ならではの地政学的日常のあり方まで著者はよく踏み込んでいる。何げない「日常」のあり方こそが一番幸せなのだという人間観にたどり着いたとき、ホッと安堵(あんど)の読後感に落ち着くのだ。

(菅田 絢子訳、みすず書房・4070円)

<エドガー> 1949年生まれ。立命館アジア太平洋大学名誉教授。

<ランイン> 1954年生まれ。作家、翻訳家。エドガーの妻。

◆もう1冊

井上寿一著『理想だらけの戦時下日本』(ちくま新書)

中日新聞 東京新聞
2022年11月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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