名将・真田幸村の天才的な計略のほとんどは作り話……それでも絶対に揺らがない「たった一つの真実」

レビュー

5
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

武士とは何か

『武士とは何か』

著者
呉座 勇一 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784106038907
発売日
2022/10/27
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

真田幸村の忠義は歴史学から導き出せるか。最先端の武士研究――呉座勇一『武士とは何か』を読む

[レビュアー] 明石健五(『週刊読書人』編集長)


真田幸村の人物像とは?

人気歴史学者・呉座勇一さんの新刊武士とは何かが注目を集めている。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」や「どうする家康」に登場する中世武士ら33人の名言・暴言・失言から、彼らのアナーキーな本質を描いた本作の読みどころとは?

音声プラットフォーム「Voicy」にて、チャンネル「神網(ジンネット)読書人」を開設し、パーソナリティとして面白い本をいち早くピックアップする「週刊読書人」編集長・明石健五さんの解説をテキストに編集して紹介する。

短編小説のような面白さ

本書のポイントは3つあります。

1つめは、源平の時代にはじまり、鎌倉、室町、戦国時代を経て、江戸時代の幕開けに至るまで、その時々に活躍した中世武士ら33名の名言・暴言・失言を取り上げ、さまざまな史料に当たりながら、その人物の来歴や時代背景、言葉の真偽と意味について、考察する1冊であるということです。

1篇1篇は、おおむね見開き3頁と短く収めながら、それぞれが短編小説を読むような面白みがある内容に仕上がっています。たったひとつの発言をめぐって、その背景には一体何があったのか、多くの一次史料を渉猟し、どんな些細なピース(証拠)をも見逃さず、私たちの前に1つの物語を指し示してくれます。

その史料を扱う手さばきが、実に素晴らしい。もちろん著者は歴史学者ですから、研究者として実証的なアプローチを怠りませんが、それだけにとどまらず、ある時は推理も働かせながら、無味乾燥ではない魅力的な歴史ドラマを描き出します。そこを〈歴史探偵〉と申し上げては著者の本意ではないかもしれませんが、私は目の前で繰り広げられる33篇のドラマを大いに楽しみました。


真田幸村

創作された「真田幸村」像

ところで、来年の大河ドラマは、松本潤さん主演の「どうする家康」です。まだ詳細はわかりませんが、おそらく大坂冬の陣・夏の陣も、ひとつのクライマックスとして描かれるでしょう。そこで、この合戦で活躍した武将の言葉を、ひとつご紹介しておきましょう。一般には「真田幸村」の名前で知られる「真田信繁」の言葉です。

「忠義に軽重なし、禄の多少によるべきや」(報酬の多い少ないで忠義の心は変わらない)

本書によれば、そもそも真田幸村という名前は、本人がそう名乗ったという歴史的事実はないそうです。信繁没後、1672年以前に成立した『難波戦記(なにわせんき)』という軍記物で、初めて「幸村」という名前が使われて、同書が講談のタネ本として広く利用されたため、この名前が流布するようになったということです。著者は以下のように述べます。

「したがって、「真田幸村」と記されている史料は、「信繁」と書かれた一次資料を参照していない上に、創作や脚色が多く含まれた軍記物の影響を受けており、あまり信用できないと判断できる。」(『武士とは何か』194頁)

ただし、続けて次のようにも述べます。

「とはいえ、私たちが抱く真田幸村像の何から何まで全てが虚構、というわけではない。確かに近世・近代の物語に描かれた「真田幸村」の天才的な計略のほとんどは作り話である。しかし、大坂冬の陣における真田丸の戦いで、真田信繁が徳川方を大いに苦しめたことは、まぎれもない事実である」(同194頁)

家康が提示した「寝返り条件」

さて、大坂冬の陣でこっぴどい目にあった家康は、信繁を味方に付けようと画策します。どのような条件を提示して寝返りをするよう誘いかけたかは、残念ながら一次史料には記されておらず、諸説あります。ただ、信繁が家康の誘いを固辞したという点は、多くの資料で確認できます。

たとえば、前出の『難波戦記』によれば、幸村(信繁)に「信濃に1万石の領地を与える」という条件を提示したにもかかわらず断られた家康は、「信濃一国を与える」とまで条件を一気に釣り上げた。しかし、幸村は、家康の使者に次のように答えます。

「身に余る光栄であるが、秀頼公の恩と同列に並べることはできない。禄に目がくらんで寝返るなど人の道に背く。もし和議が成立し合戦が終われば、領地をもらわずとも、叔父上の家臣としてでも徳川家に奉公する。合戦の最中に裏切ることは、日本国の半分をもらってもできない」(同195頁)

また、こちらも信繁死後に書かれた「武辺拙聞書(ぶへんはなしききがき)」では、同じく「信濃一国を与える」という条件に対して、信繁は次のように応えたとされています。

「禄の多い少ないで忠義の心は変わらない。和睦がなれば叔父上の力を借りて徳川家に仕官してもよいが、合戦がつづく限りは大阪で討ち死にするつもりだ」(同196頁)

さらに、ここから著者は「そもそも〈信濃一国を与える〉という条件提示は真実かどうか」という議論に移り、この話自体を虚構と考える方が自然だと主張します。

たしかに、史料を丁寧に読み込んでいくと、最初の寝返り条件にしても、「一万石」と記している本もあれば「十万石」と記している本もあり、非常にあやふやな話であることがわかります。

「忠義の士」という事実

さらには、先ほど紹介した信繁の「忠義に軽重なし、禄の多少によるべきや」という名言も、『真田三代記』では次のようになっています。

「甲信両国では足りない。日本国六十余州を拝領したい。それを豊臣秀頼公に献じ、自分は切腹して首を大御所(=家康)に差し上げる」

格段に大きな話に変化しています。このような傍証を次々と提示されると、たしかにすべて後々の時代に作られた話だったと考える方が妥当だという気がしてきます。

しかし、それでも、家康が信繁に寝返りを促したのは、間違いない事実。それに対して、信繁は決してなびかなかったこと、これもまた歴史上の真(まこと)。つまり、真田信繁は、まさに「忠義の士」だったという事実は揺らがない――このような本書の結論を読んで、なんだか嬉しい気持ちになりました。

付け加えておくと、本書では、最新の歴史学の研究成果が随所で引かれており、そうした歴史学の動向も知ることができますし、アカデミックな歴史学の面白さに触れることもできる一書です。

「御恩と奉公」は双務契約

ポイントの二つ目は、「武士とは何か」というタイトルの通り、武士の実像を改めて学びなおすことができる本だということです。

皆さんは、武士というと、どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。たとえば、武士の心得を書いた『葉隠』には、次のような一文があります。

「武士道というは、死ぬことと見つけたり」。

わかりやすくいえば、武士とは、主君のために死ぬことを覚悟しなければならないということです。たとえば忠臣蔵の話を思い浮かべてみてもいいかもしれません。亡き主君のために、命を投げ出して、仇を討つ。武士とは、そうした忠義を重んじる人々である、というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

ただし、このような武士観は江戸時代に武士がサラリーマン化した後に生まれたもので、中世武士の実像はまったく異なるものであったと著者は書いています。主従の絆はそれほど深いものではなく、利害関係に直結した関係だったといいます。

わかりやすい例を、本書から紹介します。鎌倉時代には、いわゆる「御恩と奉公」という関係で、将軍と御家人は結び付いていました。主は家来に御恩を与える。たとえば所領を増やす。それに対して、「いざ鎌倉」という時には、真っ先に馳せ参じて、奉公することによって恩を返す。そういう、非常にわかりやすい関係だったわけです。

「神網(ジンネット)読書人」のタイトル文字を揮毫してくれた、柄谷行人さんの新著『力と交換様式』で論じているところの「交換様式B」、すなわち「服従と保護、略取と再分配」という交換関係が、まさにここで成り立っているわけです。

こうした日本中世の主従関係に対して、近年の研究では、「双務契約」(当事者双方が義務を負う契約関係ということです)と評価するのが一般的とのことです。

「暴力」こそが武士の本分

そうした武士の在り方について、終章「中世武士から近世武士へ」で、詳しく論じられています。20頁ほどの論考ではありますが、実に多くの論点を含んだ、読み応えのある武士論となっています。

ここで著者は、武士が台頭しはじめた当初は「実戦で敵を圧倒する暴力こそが武士にとっては不可欠であった」ことを指摘します。それが、「鎌倉幕府成立以降、政治的な能力、為政者としての能力が必要になった」。このことは、「鎌倉殿の13人」を見ていてもよくわかります。小栗旬演じるところの北条義時が、どんどん政治的になっていく。

一方、時代が下って江戸時代になれば、武士は刀を抜くことは許されず、サラリーマン化する。この辺りは、山田洋次の『武士の一分』などの時代映画を観れば、よくわかります。太平の世の中では、暴力に訴えることはできない。

しかし、先ほど引用したように、武士の本分は「暴力」です。江戸時代にはそれがずっと抑圧されていた。その抑圧された「暴力志向」が幕末に回帰して、維新の志士たちが大暴れする。まさにフロイトがいった「抑圧されたものの回帰」が、世代を超えて起こったと言えるのかもしれません。

「歴史ロマン」と「歴史学」の世界へ

ポイントの3つめです。

本書は、最初に申し上げたように、33人/33章+終章で構成されています。1篇1篇が、歴史への窓になっており、そこから、2つの大きな世界が広がっているということです。

1つは、ここで紹介された人物を主人公とした小説世界へと開かれている。司馬遼太郎作品など、具体的にいくつかの作品も紹介されています。本書を読み、史実を抑えた上で読めば、また違った楽しみがあるのではないかと思います。

もう1つは、歴史学の本を読む道も開かれている。単にフィクションとしての物語を楽しむだけではなく、そうすることによって、著者が言うように「歴史の新しい楽しみ方を発見」できるのではないか。その意味で、非常に広がりのある本だと思います。

本書を読めば、類まれな(道先案内人)によって、歴史ロマンと歴史学、ふたつの面白さに自ずと導かれることになるでしょう。

週刊読書人
2022年11月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

  • このエントリーをはてなブックマークに追加