小説家・井原忠政が語る、デビューを後押ししたのは劇場版「NARUTO」 シナリオライターから作家になったターニングポイント

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人撃ち稼業

『人撃ち稼業』

著者
井原 忠政 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758445146
発売日
2022/10/14
価格
704円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

井原忠政の世界

[文] 角川春樹事務所

「三河雑兵心得」シリーズが「この時代小説がすごい!2022年版」の文庫書き下ろしランキングで第一位に選ばれるなど今、大きな注目を集めている井原忠政さん。経塚丸雄名義でシナリオライターとなり、覆面作家として時代小説も手掛ける井原さんに、作家デビューするターニングポイントや新シリーズとなる『人撃ち稼業』の制作秘話について語っていただいた。

 ***

シナリオライターから覆面作家としてデビュー

――「三河雑兵心得」シリーズが話題になっています。足軽の目線で捉えた戦国時代が面白く、読んでいると主人公の茂兵衛と一緒に戦場を駆け抜けている感じがします。

井原忠政(以下、井原) ありがとうございます。一番嬉しい言葉です。茂兵衛は決して英雄でも天才でもありません。友人に似ているなとか、身近な人物に向けるような目線で見ていただけると有難いですね。

――シリーズは間もなく十巻。手掛ける作品の中でも長く続くものになりそうですね。

井原 十七歳だった茂兵衛も今ではおじちゃんですが、その先も書いていくことができそうなので、ほっとしているというのが心境としては一番です。今回こうして角川春樹事務所さんでも書かせてもらえる機会を得ましたが、それは期待してくれる人がいるのだと自分なりに解釈しています。これまでは、そうした期待にお応えできずにいましたので。

――さらなる執筆依頼もあると伺っています。忙しさも含め、いろいろと変化もあったのではないでしょうか。

井原 そうですね。まず、名前が変わりました。「井原忠政」というペンネームは徳川四天王(酒井忠次、榊原康政、本多忠勝、井伊直政)から一文字ずつ拝借したものですが、「三河雑兵心得」シリーズを書くときだけ、のつもりでした。それまでは経塚丸雄の名前で時代小説などを書かせてもらっていましたが、この作品で初めて歴史時代小説と銘打つことになり、心機一転の意味合いを込めてどうかと双葉社さんにご提案いただいたんです。

――覆面作家的な使い方だったんですね。

井原 まさに。ところが、以降にご依頼いただいた版元さんからも、井原忠政の名前で書いてほしいと言われるようになってしまいました。覆面作家が表に出てしまった(笑)。そういう意味では自分にとっての大きなターニングポイントにもなりました。

――お話にもあったように以前から経塚丸雄の名前で文筆活動をされていましたが、その始まりは脚本です。脚本家を目指していたのですか?

井原 もともと人文科学系の人間ではなく、趣味嗜好としては社会科学や自然科学というタイプで。それがたまさか古本屋で『シナリオ構造論』という本を買ったんです。小津安二郎先生とずっと一緒にやられていた脚本家の野田高梧さんが、シナリオの書き方について記したものです。これを読んだときに、脚本というのが科学的に書かれていることを知りました。テレビで「日曜洋画劇場」などを見ると、本の通りに脚本が書かれている。新鮮な驚きで、文芸に興味を持つ大きな端緒となりました。

――人生を変える一冊だったのですね。

井原 人の心を知りたいと思うようになったのは、この本がきっかけですからね。でもこれ、間違って買ってしまった本なんですよ。古本屋さんってスーパーのカゴみたいなのがありますよね。その中に入れた何十冊のうちの一冊で。でも、自分で入れた覚えはない。興味もなかったけど、読むものがなくなって仕方なく手にした感じで。人間の生き方が変わる一冊という意味では、読むきっかけも含め、それがシナリオの書き方の本だったというのも珍しいことだなと自分でも思います。これ、脚色なしですよ(笑)。

――そして脚本を書いてみたら、城戸賞を受賞(二〇〇〇年)。それもすごいことですよね。

井原 書き始めて四、五年は経っていたかと思いますが。あのね、一つだけ自慢話があるんです(笑)。その頃って応募した脚本で一次選考、二次選考で落ちたことがないんです。『シナリオ構造論』にあった通りに書いていたので、基礎はちゃんとできてる人だと思われたんでしょう。でも最後はなかなか……。

――苦戦された?

井原 ええ。やっぱり文芸はそうしたテクニックだけでは成り立たない。実際、物書きになられた方って、詩歌をやられていたり、無類の小説好きだったりとバックボーンがちゃんとありますよね。でも僕にはそれがなかった。だから、受賞してからの十年間は苦労しましたが、それが良い修業時代でもあったと思っています。

――その後は映画「鴨川ホルモー」のシナリオを担当されるなど脚本家として活躍。そんな中、二〇一六年に『旗本金融道(一)銭が情けの新次郎』を書かれ小説家としてデビューされました。

井原 これもシナリオが後押ししてくれたんですよ。二〇一四年に、『少年ジャンプ』に掲載されていた「NARUTO」の劇場版のシナリオを書かせてもらったんですが、これが二十億円の興行収入を上げまして。シナリオもとても評価していただき、ノベライズ化のお話もいただいて書くことになりました。すると海外も含めて十五万部くらい売れたんです。この手のノベライズというのは二万部、三万部というのが相場らしいんですが、それでちょっと勘違いしたというか。

――オリジナルの時代小説を書いてみようと思われた。

井原 はい。とはいえ、書いたものをどうやって売り込めばいいのかと思ったわけです。自分でやることも考えましたが、エージェントを頼ってみるという手もあるなと。最初に訪ねたのが今もお世話になっているアップルシード・エージェンシーだったんですが、いろんな版元さんをご紹介いただいて、『旗本金融道』を書くことになりました。

――語られるエピソードがどれもユニークで驚きの連続です。

井原 文学好きな青年というのとはまったく無縁でしたからね。人生は奇なものだなぁと自分でもつくづく思います。

――社会科学や自然科学に興味があるとのことですが、読まれてきた本もそういったジャンルが中心ですか?

井原 そうですね。本多勝一さんが書かれたルポで、『極限の民族』の三部作とか好きですね。立花隆さんなんて、もう神です。コンラート・ローレンツの『人イヌにあう』や『ソロモンの指環』あたりは何度も読み返している愛読書です。乱読タイプなので文芸作品にも触れてきましたが、決して多くはないと思います。もっと読まなければと思っているのですが、今は時間がなくて。問題だなと感じているところです。

新シリーズ『人撃ち稼業』制作秘話

――『人撃ち稼業』もその一因かもしれませんね。では、改めてこの新たなシリーズについて伺います。主人公が猟師という設定で、井原さんらしい目線で捉えた時代小説が始まる予感がしています。

井原 スタートは僕とエージェントと担当編集者による会議からでした。そこで出てきたのが、江戸時代のお仕事小説のようなジャンルはどうかというもので、思い浮かんだのが猟師です。以前『羆撃ちのサムライ』という作品を書いたときに猟師については調べていたので、アドバンテージになり得るなと。なにより、猟師というのは科学的な面もあって嫌いじゃないですから(笑)。

――その狙撃の腕を買われた主人公の玄蔵は幕府に仕えることになりますが、命じられたのは政敵を倒すこと。つまり人を撃つという、非常に重い役目を負わされます。

井原 人を撃つ、すなわち殺さなければならない。そうした作品の成功例としては「必殺」シリーズがありますよね。これは標的となる相手を極悪人として描いているから、こいつは殺さなきゃだめだろうと思えるし、だからこそ仕事を成し遂げたときにカタルシスが起こります。でも、『人撃ち稼業』でそれはできない。ターゲットが政敵だから。政敵というだけで誰もが納得する悪人とは限らないですからね。そのため、この作品では玄蔵が人を殺さなければならない理由を作ることにしました。

――妻を切支丹という設定にしたり。

井原 ええ。そのことを幕府側に知られてしまったために玄蔵は脅しを受ける形で仕事を引き受けざるを得なくなる。つまり、家族を守るために人を撃たなければいけなくなった。だから、玄蔵はあくまでも被害者なんです。でも、被害者なら殺していいのかという論点がありますよね。このシリーズではそこに踏み込んでいきたいと思っています。

――これまでにない視点での挑戦になりそうですね。また、玄蔵が仕えるのが鳥居耀蔵ということで背景には天保の改革が関係してくるんだろうなと想像しています。

井原 はい。改革派の策略というのはストーリーの流れとして当然あります。また鳥居耀蔵の上には水野忠邦がいますので、今後登場させたいなと。このシリーズでは三人称一視点を崩しているんですよ。章によっては玄蔵以外の視点もあるので、さまざまな人物の目を通しても事象を追っていきたいと考えています。実は、天保時代を選んだのには大きな理由があります。天保というのは一八三〇年からの十四年間くらいになりますが、その頃の欧米は戦争ばっかりやっていて、銃が格段の進歩を遂げていきます。それが天保の日本に入ってくる。シリーズが進めば新しい銃も登場することになると思います。現在の銃とあまり変わらないものもあったり、なかなか興味深いんですよ。

――一巻でもゲベール銃、士筒、二匁筒などいろんな銃が出てきますが、それぞれの特徴など細部まで書き込まれていて、実物を見ているかのような存在感で伝わってきます。

井原 写実的な部分は、多少自分の趣味が入っているかもしれません。その一環としてモノだったらディテールにこだわる。こだわることでより本物に近づくことができる。近づけたいと思っています。ずいぶん細かいことを書くな、ちょっと変わった小説家だなと思ってもらえたら助かります(笑)。

――猟師でしかなかった玄蔵がこの時代をどう生きるのか。今後が非常に楽しみです。

井原 僕は普通の人を主人公に置きます。英雄の姿は先達の方がたくさん書かれていますから。でも、普通の人間でも歴史を動かすようなことをするかもしれない。そこに面白みを感じています。

構成・石井美由貴 協力:角川春樹事務所

角川春樹事務所 ランティエ
2022年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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