東 雅夫×円城 塔『文豪と怪奇』『怪談』刊行記念対談――文学が苦手でも「怪談」なら大丈夫!?

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文豪と怪奇

『文豪と怪奇』

著者
東 雅夫 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784041117347
発売日
2022/11/30
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

東 雅夫×円城 塔『文豪と怪奇』『怪談』刊行記念対談――文学が苦手でも「怪談」なら大丈夫!?

[文] カドブン

取材・文=門賀美央子 写真=松本順子(東氏)、有村 蓮(円城氏)

■『文豪と怪奇』『怪談』刊行記念対談!東 雅夫×円城 塔

小泉八雲の『怪談』に挑戦し、とんでもない新訳を生み出した円城塔と、『文豪と怪奇』でお硬いと敬遠されがちな日本近代文学を、怪奇という新視点で読み直す提案をした東雅夫。
ゴジラをも手中に収めた芥川賞作家と孤高のお化けアンソロジストが、お互いの作品について見どころを語り合いながら、文学の新しい楽しみ方を提案する。

東雅夫さん
東雅夫さん

円城塔さん
円城塔さん

■円城訳でパリピなアメリカン和尚爆誕!

東:9月に上梓された円城塔訳『怪談』のうち、「怪談」部分は「怪と幽」の前身である「幽」で連載していたものですが、最初にいただいた原稿を読んだ時の衝撃は今も忘れられません。「こう来たか!」と快哉を叫んだものでした。円城さんもあとがきに書かれている通り、当時の西洋人が「Kwaidan」をどのように受け止めたかについての問題提起であり、私自身、何度も読んだはずの本作について改めて考えるきっかけになりました。

円城:英文で読むと「怪談」の世界が、なぜだかちょっと明るくなるんです。たとえば、「耳なし芳一」の和尚。帰ってきて、芳一が耳から血を流しているのを見つけ、自分が耳にだけお経を書き忘れたのが原因だと気づくと一応謝りはするんですけれど、謝ったらもう終わりでいきなり「Cheer up!」とか言い出すんです。「元気を出せ! もう危機は去った! 大丈夫だ!」って。いや、芳一がひどい目にあったのはお前のミスのせいだろう、何を他人事みたいに元気づけてるんだよ、って思いませんか?(笑) このおかしさは日米の感性の差なのか、単にこの和尚の性格上の問題なのかはよくわからないですが、言葉が違うだけで陽気なアメリカン和尚になってしまうのが一番の驚きでした。

東:あの和尚はよく分からない人ですよね。私も先日、朗読劇で和尚役をやらされたのですが、その際の役作りには円城訳を参考にさせてもらいました。

円城:あと、「ゴブリン(鬼神)」と訳した部分について、また円城が勝手に創って、とかいわれたんですけれど違います、ちゃんとそう書いてありますから!

東:既訳の八雲作品が、読みやすい自然な日本語にすることを第一の眼目にしてきたせいで削ぎ落とされてきた部分が、今回は見事に蘇りましたね。その意味でも、意義深い一冊だと思います。

■「怪談の太宰」なら僕でも読める!

円城:僕も東さんの『文豪と怪奇』はおもしろく読ませていただきました。太宰治の回は、特に。

東:おお、太宰ですか。ちょっと意外ですね。

円城:実は僕は、「右大臣実朝」以外の太宰作品がどうにも読めなかったんです。でも、怪談作品として読むとOKなものがあるというのが今回最大の発見でした。

東:太宰が読めない? どうしてですか?

円城:読んでいると「うるさい! お前の繰り言など聞きたくない!」ってなりませんか?

東:あ、分かります(笑)。

円城:これを読むぐらいならネットの書き込みでも見たほうがましだよと思うぐらい、僕のモードが太宰に対して敵対的だったんです。けれど今回、それが解消されました。怪談モードで臨めば他の作品も全部読めるかもという期待が、今僕の中で盛り上がっています。

東:帯に「円城塔絶賛! 僕でも太宰が読めた!」と書けますね(笑)。

円城:太宰は自分の中で、苦手な文学の最後の牙城っぽいところがあったんですが、それを切り崩すきっかけがこんなところに、と驚きました。だから、今まで太宰はイラッとくるからと敬遠していた人たちも、東さん選出のアンソロジーから入れば読めるようになる可能性が!

東:太宰の既存読者は、どうも怪談にはあまり興味がないようなんですね。以前、ちくま文庫から『文豪怪談傑作選 太宰治 哀蚊』というアンソロジーを出したんですが、売れ行きは期待したほどではなくて。泉鏡花の巻なんかは即重版したんですけどね。〈泣ける太宰〉〈共感できる太宰〉を求める人は、〈怖い太宰〉には関心がないのかもしれません。芥川龍之介も意外にダメでした。でも、芥川については、なぜウケないのかが私にはよく分からないんです。芥川自身は怪談が大好きで、作品も多数遺しているのに、ファンはあまり興味を持たないようで……。

円城:やっぱり理性的というイメージが強いからでしょうか。

東:確かにそれはあるかもしれません。「妖婆」なんて理性的な人が無理して書いた怪談という感じはしますし(笑)。だから佐藤春夫たちからの評価も今一つだったのかな。一生懸命まじめにやろうとしているけど、敬愛する泉鏡花のようにはうまくいかない。彼自身のインテリとしての悩みがあの中に出ている感じがします。

円城:「羅生門」なんかは普通に怖いですけれどね。もしかしたら、文豪作品に対する偏見が背景にあるのかもしれません。でも、「怪奇」という切り口で切り取ったことで、見え方がずいぶん変わると思います。文学者って、本当は全然そんなことはないんだけれど、なぜか人と違った視点から社会に提言するとか、よくわからないまでも直感的に正しいことを言うとか、そういう〈機能〉を勝手に期待されているところがありますよね。社会へのどんな憤りが創作の源泉になりましたか、みたいなことを聞かれることが僕もあるんですが、今回、怪談っぽい違和感――たとえば自分の言葉がどこかズレているとか、地域差により生まれる齟齬などから発生する違和感が怪異として見えるのも、そういうものも源泉になるのかもしれないと感じました。今回、僕が太宰において発見したように。もちろん、そこのみではないですけれど、物書きは全体的にわりとそういうところに依拠しているのではないかという気がします。

■アンソロジーの魅力と役割

東:そうおっしゃってもらえると、今回各章にミニ・アンソロジーを入れた甲斐がありました。何かというとアンソロジーを持ち込むのが私の常套手段なんですが(笑)、今回は評論とセットだったためにページ数が限られ、普通のアンソロジー以上に純度が高いものになった。おいしいところだけ集めてまとめているというか。これを解題と併せて読んでもらうと、『文豪と怪奇』の狙いが分かってもらえると思います。

円城:毎回のことながら、東さんのアンソロジーについては、本当に大変そうだなという感想に尽きます。どれだけ読めばこれだけの質のアンソロジーを量産できるのだ、と。僕には絶対無理なので、これからもお体に気をつけてがんばっていただきたいです。

東:いや、円城さんこそ(笑)。デビュー当時はSF畑の作家というイメージが強かったですが、作を重ねるごとにジャンルを超え、新しいことに挑戦する姿勢がすばらしいと思っています。私は特に『文字渦』には大変な感銘をうけました。いま、あんなものを書けるのは円城塔しかいない。何を考えているかわからないところも含めて(笑)、次は何を見せてくれるか、未知数の魅力が常にある数少ない作家です。次回作も大いに期待しております。

KADOKAWA カドブン
2022年12月05日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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