「推し」に夢中になり、「沼」にハマる現代人が地獄に落ちる理由

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ドーパミン中毒

『ドーパミン中毒』

著者
アンナ・レンブケ [著]/恩蔵 絢子 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/医学・歯学・薬学
ISBN
9784106109690
発売日
2022/10/15
価格
1,210円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

快楽に、殺される!? 快楽と幸福を履き違えた現代人、必読の書

[レビュアー] 中野信子(脳科学者)


沼にハマって抜け出せない……(写真はイメージ)

スタンフォード大学教授のアンナ・レンブケが発表し、世界的ベストセラーとなった『ドーパミン中毒』が日本に上陸。依存症医学の世界的第一人者が、数々の患者たちのエピソードを取り上げながら、依存症との向き合い方を解説する本作を、脳科学者の中野信子さんが紹介します。

 ***

 我々の脳は苦痛よりも、快楽に弱くできている。

 それはとりもなおさず、我々の歴史が苦痛の連続であったことを示すものだ。快楽を大きくするよりも苦痛に耐えることのほうが長らく優先されたのである。その歴史の中で、苦痛を苦痛であると受け取り、それに耐え得る仕組みを提供する福音として、苦痛と快楽とがセットになった機構が脳に生得的に備え付けられた。それが、本書のメインテーマである依存症を生み出す基盤となっているメカニズムである。

 本書では、丁寧で具体的な例示を通じて、依存症の様相がわかりやすく解説されていく。性依存、ハードドラッグ、ソフトドラッグ、アルコール等々だが、新たな知見も加味されており一読の価値がある。また、アメリカ独特の事情も垣間見え、文化間の差を感じられるのも面白いところだろう。

 著者の本書における主張として重視すべき点は、依存症が本人の意志の力や心の弱さなどといった個人の資質に起因するという見方を強調するのではなく、極めてベーシックな人間の(あるいは生物の)脳の機構を由来として発症するという視点の提供である。

 苦痛に耐えなければならなかった歴史は、人類の技術革新への不断の歩みによって克服されつつある。もはや我々が持っていた苦痛と快楽を司る生物学的な機構が、我々自身のたゆまぬ努力によって“時代遅れ”のものとなってしまった。例を挙げるならば、食物をできるだけ多く摂取するよう、熱源を蓄えておけるように我々は脳を進化させられてきたのにもかかわらず、食糧生産と流通の進歩により、特に先進国ではカロリーを意識的に、半ば強迫的に制限しなければならない状況が生じたというのがわかりやすいだろう。食べ物を自ら制限しなければ、快楽に殺されるという時代を、自ら作り上げてしまったという皮肉な構図である。解決策についても本書は一定の示唆を与えているが、脳機能から考えて、抜本的な手段というのはあり得ず、地道な取り組みが必要と著者は主張している。

 興味深いことに、平均所得の高い国であればあるほど全般性不安障害(人生に悪影響を及ぼすほど過度で、制御不能な心配がある)の割合が高いという。我々人類は、快楽と幸福をどこで履き違えたのだろうか。苦痛よりもはるかに取り扱いの厄介な、快楽という毒と、どこまで上手に付き合うことができるのか。我々は試されている。

新潮社 週刊新潮
2022年12月15日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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