あっ、知ってる! けど、知らないポップアート

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あっ、知ってる! けど、知らないポップアート

[レビュアー] 都築響一(編集者)

 玉井力三は「学年誌の表紙画」という特殊な領域で、絵そのものはよく知られていた。しかしその名前はまったく知られることのないまま生涯を終えた職人画家だった。

 大正11(1922)年の『小學五年生』『小學六年生』(小学館)創刊を端緒とする「学年誌」は、実は日本独自の出版文化(今年で百年!)。最盛期の昭和40年代には『小学一年生』が発行部数116万部(昭和49/1974年)、全国の1年生の7割以上が読んでいて、『小学一年生』~『小学六年生』の合計が500万部だったというから、高度経済成長時代の昭和の子どもはまさに学年誌で育ったと言える。

 そうした学年誌の「顔」となったのが、画家・玉井力三が描いた子どもたち。昭和29(1954)年から約20年間にわたって、およそ1500点もの作品を描いてきた。それは昭和の子どもたちのロールモデルを描いてきたということでもあるだろう。

 かならず男の子と女の子がペアで、どの子も雰囲気はすごく似ているけれど、でも別人。それが運動会でバトンを持って走っていたり、水遊びをしていたり。ほぼ同じテーマが繰り返し、繰り返し描かれている。

 玉井さんの絵で育った世代にはそれがなにより懐かしさに溢れたイメージだろうし、ひたすら元気で明るい優良児たちは、見方によっては文革期の中国や北朝鮮のプロパガンダ・ポスターのような不気味さも漂わせる。ほとんど同じで微妙な差異のカラフルなグラフィックは、並べると60年代のポップアートのようにも見えてくる。

 毎月、毎年、ただただ誠実に「声もなく文もないが、ささやきかけているような楽しい絵」(本人の言葉)を四半世紀にわたって描き、時代の子どもたちに圧倒的な影響を与えた無名画家の画業を、こんなふうに作品集として甦らせてくれた、丹念な発掘作業に敬意を表したい。

新潮社 週刊新潮
2022年12月15日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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