「わたしは悪いことをしてないのになんで憎まれるの?」 正論だけでは解決できない時に大事なこと

インタビュー

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川のほとりに立つ者は

『川のほとりに立つ者は』

著者
寺地はるな [著]
出版社
双葉社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784575245721
発売日
2022/10/20
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『川のほとりに立つ者は』寺地はるなインタビュー

[文] 双葉社

『カレーの時間』『ガラスの海を渡る舟』など今大注目の作家・寺地はるな。最新作は、今この社会を生きるわたしたちに切実な問題を投げかける、一度読んだら忘れられない余韻を残す物語だ。

 原田清瀬29歳、カフェの雇われ店長。職場では「仕事の出来ない困ったアルバイト」に振り回され、私生活では恋人の「隠し事」に頭を悩ませる。真面目な清瀬を通して見ていた世界が、恋人の隠していたノートをきっかけに一変していく──。

「正しさ」とは何なのか。自分が見えていなかったものとは何か。読む前と後では、きっと世界が変わって見えるだろう。

 著者の寺地はるな氏に、作品に込めた思いを伺った。

■はた目にはわかりにくい困難を抱えている人がきっかけ

──『川のほとりに立つ者は』では、主人公の原田清瀬が恋人の部屋を訪れた際に、彼が隠し持っていた3冊のノートを見つけたことで、彼の大事な秘密を知ってしまいます。人に言えない思いや、弱さを持った人々が多数登場しますが、本作はどのようなところから着想しましたか。

寺地はるな(以下=寺地):普段、人と接する中で、はた目にはわかりにくい困難を抱えている人はとても多いのだなあ、と思ったのがこの作品を書くことになったきっかけのひとつです。「困難」と言うととてもおおごとのように聞こえるので「不便」でもいいです。たとえば耳の聞こえがやや悪いとか、ものすごく道に迷いやすい、というような程度のことも含まれます。

たとえば、わたしは左利きなのですが、駅の改札を通る時、つい左手でICカードを持ってしまい、動作がもたつくことがよくあります。それは「左利き用の改札をつくってくれ」と声をあげたいほどの不便さではなく、いつもちょっと工夫すればなんとかなるのですが、この「ちょっとした工夫」をあらゆる場面においてほかの人より多く強いられるというのがストレスなのです。このストレスをどうにかしていこう、という話ではなく、ただそこにそれ(不便)がある、そういう人たちはいる、ということを書きたかったんです。

──登場人物達の中でも、主人公の清瀬は、比較的「恵まれた人生」を歩んできた、真っ直ぐな人物として描かれています。けれど、美点であるはずの彼女の「正しさ」が、逆にこの物語では他者への狭量さへ繋がっていったり、誰かから憎しみを買ってしまったりすることも。清瀬のような「正論」だけでは解決できない社会の軋轢について、寺地さんはどう思われますか。

寺地:清瀬からすれば「わたしは悪いことをしてないのになんで憎まれるの?」と言いたい状況だと思うのですが、こういったことは現実でもよくありますよね。かといって、清瀬みたいな人に、お前は恵まれているのだから常にそれを意識して謙虚に生きろ、と言うのも違いますし、難しいですね。

人と人とのわかりあえなさを「分断」というような言葉で表現してしまえば簡単ですし、なんだか賢そうにも見えるのですが、広い視野をもって社会を分析する行為には目の前の些細な、でもとても重要なことを見落とす危険性をはらんでいます。

「格差による対立」も、慎重にひも解いていくと一対一の人間の感情の衝突である場合もあるし、逆のパターン(個人的な問題が社会的な対立に発展していく)もあるでしょう。なにごとも「要するに〇〇の問題ね」と簡単にわかったような気になって処理してしまわず、ひとつひとつに慎重に対処していくことが大事なのではないでしょうか。

■失敗も後悔も、答えにたどりつくまでの過程だと考えたい

──作中で、“わたしたちは「後悔しない今日を生きる」という厄介な課題を背負わされながら、同時に「簡単に答えを出せない問題に向き合い、待つ」という辛抱強さを要求される”という一文が、とても心に残りました。寺地さんはどのようにして、「すぐには答えがわからないけど考え続ける」ことのすわりの悪さと、折り合いとつけていますか。

寺地:わたし自身はひとつの思考をいつまでもグネグネとこねまわすのが趣味みたいなものなので、あまり「答えが出ない問いを抱え続けること」自体に苦痛は感じません。が、あまりほめられた趣味でもないと思いますし「みんなもそうすればいいよ」とは思いません。わからないな、と思ったらいったん保留の棚に置いてもいいし、仮の答えをあてはめておいてもいいと思います。

ただ漫然と「誰かがこう言っていたから」「こういうものだということになっているから」に従い続けていると、「なぜですか?」「あなた自身はどう思っているんですか?」と訊ねられた時に、ちゃんと答えられないかもしれませんね。自分の中でじっくり吟味して選び取った答えであれば、自分の言葉で説明できます。

わたしは日々たくさん失敗をしています。選択を誤ることもあります。後悔することはもちろんありますが、答えにたどりつくまでの過程であると考えたら、そう悲観することもないのではないでしょうか。大切なのは失敗や後悔をしたあとになにをするか、なので。

■苦手な人間にも幸せになる権利があり、その権利を奪おうとすることは加害

──作中では、ある男性から好きな女性への手紙の中で、「明日がよい日でありますように」という言葉が出てきます。この言葉は、愛する人に対してのみならず、物語後半では、清瀬から苦手意識を持つ人物へと贈られます。苦手な人物に対し、清瀬のような行動をとれる人は少ないように思え、とても印象的な場面でした。

寺地:「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というヴォルテールの言葉に出会ったのは二十代の頃だったと思います。その頃は意見の否定と嫌悪を混同していたように思います。でもそれは違うんですよね。

嫌いな相手の幸せを願える、と言うとものすごい聖人のようなんですけれども、清瀬はけっしてそうではない。ただ、知ったのだと思います。憎み続けるというのは、ある意味では相手とかかわりを持ち続けるということ。それから、自分が苦手な相手にも当然に幸せになる権利があり、その権利を奪おうとすることは加害だということなどを。

──実社会でも、苦手な人と接しなければいけない場面は多数ありますが、どのような意識を持ったら共存していくことができるでしょうか。

寺地:わたしは他人に「この人のここ、嫌だな」と思う要素を見出しても、だからその人を嫌うということはないです。攻撃しようとも排斥しようとも思いません。距離を置くことはあります。こちらから積極的にかかわらないけれども接する機会があれば誠実に、と思います。「好きになる努力」はしないです。徒労だと思うので。考えてみると好きな人たちの中にも「嫌だな」と思う要素はあるんですよね。あなたのすべてが好きというわけではない、っていう。

ただここまで話したのはあくまでこちらに実害がない場合であって、相手がこちらに攻撃してきたら即座に反撃する覚悟は常に持っていたいですし、失礼な言動にはそれ相応の態度を返せる反射神経を鍛えておきたいですね。あと証拠も残しておくとなお良いです。加害を許したり、耐えたり、受容する必要はないと思っています。

■コロナ禍の私たちは懸命に生活をおくっていたのだ

──本作はコロナ禍を背景としており、登場人物達の行動や心情にもその影響が表れています。コロナに限らず、寺地さんが今この時代に、この作品の中でどうしても書き残しておきたいと感じたことはありますか。

寺地:ここ数年、とくに2020年はみんな激しい不安と混乱の中にいました。小説の中でぐらいコロナを忘れたい、という意見や、いつかコロナが収束した後に読んだ時古いと感じるかもしれない、というような意見もありますが、私は可能な限り現実に近い風景を描写したいと思いました。私たちは感染症対策だけしていればよかったわけではなく、懸命に生活をおくっていたのだという事実をそのまま書き残すことにしました。

──これから読まれる読者さんへメッセージがありましたらお願いします。

寺地:まずはお身体と心を大切に、ということです。気力体力がないと本も読めないので……。あと、いつも読んでくださっている方はほんとうにありがとうございます。『川のほとりに立つ者は』は、連載中は「明日がよい日でありますように」だったのですが、これはわたしの読者の方にたいする思いでもありました。

よい日であるにこしたことはないのですが、よくない日だったらなんとかうまいことやり過ごせますように。悪いことがおこったとしても投げ出さずに対処できたのなら、いつかよい日につながります。

この作家知らないけど読んでみようかなと思っている方にたいしては「わたくしこれからももっともっとよい作品を生み出すべく精進しておりますので、今のうちから読んでおくと数年後には『ああ、寺地? 前から知ってる。悪くないよね』と得意顔ができるかもしれませんね……」とひかえめに提案したいです。

COLORFUL
2022年11月9,10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

双葉社

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