現代人が失った初冬のささやかな楽しみ
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「焚き火」です
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かつて作家ではなく文人という優雅な文学者がいた。締切に追われ、あくせくしない。余暇を楽しみ、文房具を愛玩し、書や絵をたしなむ。歌や俳句を作る。
永井荷風は最後の文人といっていいだろう。
荷風には文房具や書画を愛する他に、庭とその草木に心を寄せる文人趣味があった。「余花卉を愛する事人に超えたり」と随筆『偏奇館漫録』に記している。
東京大空襲で焼失するまで麻布の高台にあった自宅偏奇館で暮した。家には庭があり、荷風はそこでの草木の手入れを楽しんだ。
庭は秋が深まると落葉におおわれる。荷風はその掃除をいとわず、むしろ文人の楽しみごととして愛した。
代表作『濹東綺譚』では「残暑の日盛り蔵書を曝すのと、風のない初冬の午後庭の落葉を焚く事とは、わたくしが独居の生涯の最も娯しみとしている処である」と、夏の曝書(和書の虫干し)と初冬の焚き火をひとり暮しの楽しみとしている。
『断腸亭日乗』を読むと「毎年立冬の後、風なき日を窺ひ落葉を焚きつゝ樹下に書をよむほど興趣深きはなし」(大正十四年十一月二十二日)をはじめ、初冬には掃葉と焚き火の記述が多い。
庭の落葉を掃い、焚き火をする。その間に書を読む。文人ならではの静かな楽しみである。
しかし、現代ではもうこんなささやかな楽しみも出来なくなっていよう。
東京の住宅地でいま焚き火などしようものなら消防署か警察が飛んでくる。