男性の二つのタマの裏側の筋はなぜある? 「文春」元副社長が書いた丸ごと1冊「タマ」の本

インタビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

「文春」元副社長が書いた「丸ごと1冊キンタマ」というすごい本

[文] 新潮社


文春の副社長をするよりこの本の執筆が楽しい

最初から最後まで「キン」についての本

人類にとってとても大切な存在。とりわけ男性にとっては身体の中心にあって長い間関心の対象であり続けるもの。しかしあまり表立って語られることは少ないもの。

そんなアレについて丸ごと一冊研究、考察した本が『世界金玉考』(西川清史著・左右社)である。

タイトルに偽りはない。

全240頁、古今東西の文献をもとに最初から最後までそれ(以下、本稿ではKと記す)に関する記述で埋め尽くされた本は、医学書以外では本邦初ではないだろうか。

この奇書、いや大変貴重な書籍を執筆した西川さんは、長年文藝春秋社で編集者を務め、副社長で退職した人物。いまは「瘋癲(ふうてん)老人」と自称しながら、『うんちの行方』『にゃんこ四字熟語辞典』等、さまざまな話題作を世に出している。

今回、なぜここまでKにこだわった本を書いたのか。本書の読みどころから執筆の動機まで聞いてみた。

――本書はKの生物学的定義から始まり、海外での呼び名、歴史上の人物のエピソード、芸術作品での描かれ方、文豪たちの赤裸々な話、摘出した人の体験談、去勢の歴史、ペットの去勢、そして「味」に至るまで、徹底的に2つの玉にこだわって調べ抜かれていますね。収録した中で、特にお気に入りのエピソードは何でしょう? 

西川:一番印象的なのは、福岡伸一さんが自身の著書『できそこないの男たち』の中で述べていらっしゃった「人間の基本仕様は女性である」というエピソードです。胎内にいるすべての赤ん坊の性器はごく初期にはすべて女性器である、という事実です。2008年にこの本が出版された際にすぐに読んで、驚きました。男性は無理に無理を重ねて女性を改変して出来上がったものだというのです。それを読んでもろもろの合点が行ったのです。

Kの裏側に一筋の縫い合わせたラインが走っていることの意味が福岡さんのおかげでわかりました。

今回、本を書く一つの動機は、この福岡さんの本で知った知識を広めたいという気持ちもありました。

世界各国でのKの呼び方を調べるため、単身でレストランに乗り込む


あのアボカドも、由来はK……。理由は「似ているから」

――執筆にあたって気を配ったことなどはありますか。

西川:執筆の中心的作業は、この本にこういうことが書かれている、あの本にはこんなエピソードが記されているといった、極めてスタティック(静的)なものです。机の前に座っていればできる作業です。そんな内容だけだと本全体が退屈なものになってしまうと考え、書き手(僕ですが)があちらこちらに出かけて、人に会って話を聞いたり、見物したりするというパートを意識的に組み込みました。そしてダイナミックな部分と、スタティックな部分を交互に構成することで、よりビビッドなたたずまいになるように腐心しました。

――たしかに、文献だけではなくて取材に出向いているのも印象的でした。世界各国での呼び名については、それぞれのお国の人になるべく当たっていますね。単にネットや辞書で調べるだけではわからない、各国のK観のようなものが伝わってきました。

西川:ネットで各国の呼び名を調べるのは意外と大変なんです。少なくとも日本語で検索しても出てこない。それで実際に人に聞くようにしたけれども最初は大変でした。

最初に地元のネパール料理店で店員さんに一人で出掛けて、あなたの国ではKを何と呼ぶのか、と聞いたけれども要領を得ない。それで仕方なく絵で説明しようとしたら、変態だと思われたのか相手にされなかった。これで懲りて、次からはなるべく知り合いの伝手などを頼るようになっていったわけです。

――取材で他に印象的だったことはありますか。

西川:睾丸摘出手術を受けた性同一性障害の方に、じっくり話をお聞きすることができたことでしょうか。YouTubeで存在を知った、きょんさんという方です。こういう機会でもなければ、このテーマでじっくり面と向かって話を聞くということはありませんでした。またその身の上に思いをいたすこともなかったと思います。聞けば聞くほどつらく厳しい人生なのだと私は感じました。もっともご本人はちっともそう感じてはいらっしゃらないのですが。

改めて性というのは、簡単に「男」「女」で分けられるものではなく、もっとグラデーションがある複雑なものなのだなということを認識しました。

嬉しかったのは、きょんさんに本を送ったらとても喜んでくださったことですね。ブログで「令和の奇書」と紹介してくださいました。

教科書には絶対載らない正岡子規の「K句」

――本書では、様々な歴史上の人物とKとの関係も紹介していますよね。特に興味を惹かれた人物はいますか?

西川:正岡子規に関しては非常に興味がわいて、約1か月間、関連本を読み続けました。


ほんとうに、正岡子規が詠んだ句です

――子規があんなにKについての句を残しているとは知りませんでした。その人生についての記述には熱が入っていると感じましたが、そんなに関連書を読まれたのですね。

なにしろ瘋癲老人という身の上ですから、目先の時間だけは無尽蔵にあるんです。そしてかなりの分量を書いたのですが、本来のテーマからはずいぶん外れてしまったので、最終的には残念ながらすっぱりと削ることになりました。本全体では10%くらいの原稿を削っています。残しておきたいエピソードもいくつかあったのですが。

それにしても、この執筆中の1年間というもの、ずっとそれのことが頭から離れませんでした。飯を食っていても、風呂に入っていても、寝ていても……。実に奇妙な1年間でした。

気になるKのお味は?

――最終的には動物のKを食べにも行ったエピソードも書いていますね。

牛、豚、羊のKを食べました。脳とKの成分は似ている、という説がありますが、食感というか味も似ている気がします。食感は、言うなら固めの木綿豆腐でしょうか。味は白子と少し似ているんですよね。ただ、美味しいかというと、そこは何とも……。まあ、すごく美味しいものならもっとメジャーな食材になっているんじゃないでしょうか。

――なるほど……。次に木綿豆腐や白子を食べた時に想像してしまいそうです。そもそも、なぜここまでKに特化した本を書こうと思ったのでしょうか。


疑問に思ったことをコツコツ調べて、原稿を書くことが一番自分には向いている

西川:1年半くらい前に、本書の発行元である左右社の社長、小柳学さんから「西川さん、Kについて本を書きませんか? 本邦初の本になりますよ」と誘いを受けたんです。

場所は青山のスパイラルビル1階のおしゃれなカフェでした。小柳さんがにんまりしながら、なぜ、僕に対してそんな提案をなさったのか、よく分かりません。おそらく、小柳さんがずっとあたためてきたテーマだったのではないかと思います。ちょうど僕が、1冊丸ごとうんちについて取材して書いた『うんちの行方』(神館和典氏との共著・新潮新書)を出したばかりだったので、なんにでも食いつく悪食の男だと思われたのかも知れません。

――しかし、うんちとかKとか、なんだか小学生みたいという気もしてしまうのですが……。

西川:確かに、僕は、あまり人が正面切って取り組まないようなテーマに対して、真剣に、徹底的に向き合うということが好きな性分であるかもしれません。それも下らなければ下らないほどいい。

多くの人が下らないと考えているテーマについて必死に取り組んでいると、その向こうに、全く下らなくはない世界が出現してくる、その過程がたまらなく楽しいんですね。振り返ってみると、これまで書いた「うんち」も「印影」も「猫と四字熟語」も「K」もみんなそういうものですね。そう意識していたわけではないないんですが。

若いころから、「書き物」には必ず「発見」や「驚き」がなくてはならない。そうでないなら書く必要はない、と思ってきたので、Kについても必死で勉強しました。まるで受験勉強をしているような感じでした。

――索引を見るだけでも、膨大な文献に目を通したことは伝わってきますね。しかし、どうやって関連書を見つけたのでしょうか。先行研究があるとも思えないのですが。

西川:小柳さんがすでに5、6冊参考図書を集めていらっしゃったので、それをまず読み始めました。ある本を読んでいるとその中に参考文献やら関連図書などの紹介があるので、その本を入手して読み始める。いわゆる芋づる式、というやつですね。

特に今回は様々な側面からアプローチをしたいと考えていたので読むべき本も多種多様でした。地元である三鷹市の図書館に通って本を大量に借り出すということを何回か繰り返しました。図書館で手に入らないものは古本を探して購入しました。調べては書き、書いては調べるということを約1年間続けました。
いったい何冊読んだのか、費用はいくらかかったのか分かりません。すべて自腹です。

うんちには子供のころからのこだわりがある

――さきほども少し触れましたが、もともとうんちについては、本を書くほどに強い関心があったんですよね。

西川:昔から不思議でしょうがなかったのです。水洗便所の水を流すと屎尿は下水管を流れていく。コメのとぎ汁や洗濯機の排水などと一緒に長い長い旅路をたどって下水処理場にたどり着き、化学的処理を施されて海に放水され、それが水蒸気になって空に拡散し、雨となって大地に降り注ぎ、それがまた人の飲料水になる。壮大な循環がいつ終わるとも知れず続いているのです。

それはいったいどういうことなのだろうと、子供のころから考えていたのです。そのことを的確に教えてくれる本が身近になかったので、じゃあ書いてみよう、ということになったのです。

うんちの成分は80%が水分です。うんちのことを考えるというのは、突き詰めると水のことを考えるということなんですね。

地球上に存在する水は有限で、一定です。その全量は、仙台と長崎を結ぶ直線を一辺とする巨大なサイコロのような正立方体にすべて収まる。そこに海水のすべて、淡水のすべて、地下水のすべてが入っている。そう考えると、地球上の水分は実に少ない。しかもその立方体の中にクジラやさんまなどがぎっちり詰まって泳いでいる。海は広大無辺に広がっているように思っているけれど、一か所に集めてみたら恐ろしいほど少ないのです。

しかも水は有限なので、もし水の分子ひとつひとつが自身の履歴書を持っていたら、「私はマンモスのおしっこだったことがあります」「私は吉永小百合のウンチだったことがあります」「清少納言の涙でした」というふうに無限の履歴書が溢れかえることになる。こんなふうに物事を考えていると、くらくらしてきて楽しくて仕方なくなるんです。

文春の知り合いからは反応なし

――完成してからの反響はいかがでしょうか。

西川:この本が完成した際に、写真をFacebookにあげました。金色のタマが2個光っている表紙の写真です。タイトルがタイトルだけに女性には無視されるか、唾棄されるに違いないと考えていました。ところが、案に相違して、ずいぶん多くの女性が「いいね」のボタンを押してくれたのです。しかも親指マークの「いいね」ではなく、ハートマークの「いいね」なのです。意外に屈託なく、無邪気に楽しんでくれていることに驚きました。

もっとも僕のFacebookの女性友達となると、かなり人生の酸いも甘いも味わってきた方が多いので、一般的な反応なのかどうかは疑問が残りますが……。

――ご家族や、元同僚の方の反応は?

家族には実はいまだに話していません。喜ばれるとは思えないし面倒くさいので。

文春の知り合いにも送ったのですが、今のところ無反応ですね。いや、この前、忘年会で顔を合わせたときには、気のせいか、こちらを避けていた気も……

――文春でのキャリアを拝見すると、「週刊文春」「エンマ(写真誌)」の他、「CREA」のようなお洒落な雑誌の編集長も務めていらっしゃいます。それと今回のKとの相性があまり良くない気もしましたがいかがでしょうか。

私自身の軸は共通していて、気になること、疑問を調べていくという作業をどの媒体でもやってきたと思っています。実は「CREA」でも犬の特集号の中で、犬のスープを飲んでみる記事を掲載したりと、やらなくてもいいような企画を好奇心に負けてやってみたりしたものです。それでお叱りを受けたりもしたのですが。

――近著の『にゃんこ熟語辞典』シリーズは累計で20万部突破のベストセラーだと聞きました。これも好奇心の産物なのでしょうか。

そうですね。そちらは猫好きなので昔からやってみたかった企画を自分で出版社に持ち込んで実現した本です。

振り返ると、会社人生の最後の10年間は、本来の編集者の仕事から離れて、専らマネジメントばかりになってしまいました。今となるとその時間は無駄だったなあと感じます。

やっぱり疑問に思ったことをコツコツ調べて、原稿を書くことが一番自分には向いていると思います。瘋癲老人となって、こういうことにまた取り組めるようになって実に楽しい。

何となく学生時代の生活に似ているんですよ。気の向くままに家で本を読んだり、映画を見に行ったりして、好奇心を満たしていく。ああいう感覚の生活ができている。

まだまだやってみたい企画、調べてみたいことは数多くありますよ。
(了)

Book Bang編集部
2022年12月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク