『大いなる錯乱 気候変動と〈思考しえぬもの〉 (原題)The Great Derangement』アミタヴ・ゴーシュ著(以文社)
[レビュアー] 小川さやか(文化人類学者・立命館大教授)
地球の危機 想像力必要
デリーで歴史を学び、英国で社会人類学の博士号を得て、数々の文学賞を受賞したインド生まれのゴーシュ。本書は、彼がシカゴ大学で行った講演を編んだものであり、欧米の知識人とは異なる独創的で刺激的な論を展開している。
「人新世」は文学を含めた文化全般に対する挑戦だと著者は言う。今日、我々は気候変動に関わる蓋然性の乏しい不気味な事態を経験している。しかし人新世が明らかにしたのは、その発生に人間の行為が多かれ少なかれ関わっているという事実だった。<人間ならざるもの=自然や超自然的なもの>と人間とを乖離(かいり)させ、それに立ち向かう人間中心主義的な物語はもはや人間存在へのアイロニーにしかならないのだ。
彼はまた、気候変動の敵として資本主義について語る議論が帝国主義を見落としていることも鋭く指摘する。経済成長により温暖化を加速させ、その最も大きな被害を受けることが懸念されるアジア。アジアを中心に置くと炭素経済の錯綜(さくそう)した歴史の秘密が浮かび上がる。もしアジアの脱植民地化と帝国の解体がより早く進み、より迅速な経済成長を遂げていたら、気候危機の開始も早かったかもしれない、という秘密を。しかし気候変動を西欧の問題とし、アジアは経済的報酬を受けるべきだとする理解では、大いなる錯乱の物語に自ら加担するのと同義だ。
だからこそ、気候変動をめぐる政治をブルジョワジー的なモラルの問いに還元し、未来を先取りして技術的解決を問う議論が隠ぺいし、抑圧してきた想像力を取り戻す必要があると著者は主張する。人間ならざるものの世界の網の目に人間がいかにして絡めとられているかを理解し、彼らの声を物語のうちに聞き取らせること。そして主流の脱炭素経済の物語とは異なる「ありえたかもしれない」歴史をめぐる想像力を奪還すること。その提案のすべてが胸に突き刺さる。三原芳秋、井沼香保里訳。