『ジョン・デューイ』
書籍情報:openBD
『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学』上野正道著(岩波新書)
[レビュアー] 中島隆博(哲学者・東京大教授)
「子ども中心」の教育提唱
ジョン・デューイは、プラグマティズムの哲学者であると同時に、「コモン・マン」、すなわち一般の人こそが教育を通じて民主主義を支えると考え、「子どもが太陽となる」ような進歩主義教育を唱えた。
デューイは文字通り世界的に活躍した哲学者であった。その嚆矢(こうし)は一九一九年から二一年にかけての日本と中国での滞在である。日本滞在は二ヶ月余りと短いものであったが、大正デモクラシーのもとで、「子ども中心」の「大正新教育」を支える一つの軸になった。その後滞在した中国では、五・四運動に遭遇し、社会の激変を観察している。北京大学の学長も務めた蔡元培はデューイを高く評価し、「おとなが児童から教えを受ける」という「新教育」の代表の一つに含めたばかりか、誕生日が同じであることと「平民教育」に力を注いだという点で、「第二の孔子」とまで持ち上げた。
その後、一九二四年にはトルコに赴き、「トルコの教育制度を調査し、改善の方策を助言」する。二六年にはメキシコに滞在し、「農村学校を整備し、メキシコの先住民のための学校をつくるべきだ」と述べている。さらに、二八年にはソヴィエト・ロシアを訪問し、そこでの新しい教育運動に触れ、それを称賛する一方、スターリンが神格化され反対勢力を弾圧することに失望している。
米国内では、デューイはいくつもの大学に勤めるとともに、恵まれない人々への生活支援を行うソーシャル・セツルメント活動にも積極的に参加したほか、第一次世界大戦後の社会において、「社会科学や哲学の研究に根差して民主主義を再生することを掲げた」ニュースクールの設立にも関わった。ニュースクールはナチス政権誕生後には、「亡命者の大学」を学内に設立し、一八〇名以上の亡命学者とその家族を受け入れた。
デューイの生涯はまさに教育を通じて民主主義を鍛え直し続けたものであった。民主主義が世界的に再び問い直されている今日、デューイの哲学の核心に触れる本書は必読の一書である。