『日本の「第九」』矢羽々崇著(白水社)
[レビュアー] 堀川惠子(ノンフィクション作家)
ラララ~ラララララ♪ 年末になると聴こえてくる、あの終楽章。「第九」はもう季語になった。舞台は戦前から終戦後の日本。「第九」がいかに文化的土壌を育んできたかを描く。戦前、オーケストラは人々を驚かせた。バイオリンの音は「のこぎりの目たて」、「第九」とは歌舞伎でいえば忠臣蔵、能なら道成寺と説明された。混声合唱自体が珍しかったが、関係者の尽力で新設の交響楽団や学校現場に徐々に浸透。大晦日(おおみそか)の演奏はドイツに倣った。
合唱で一体感を生む「第九」は「名状しがたい魔力」を持つ。戦時中は戦意高揚で「上からの押しつけ」演奏に。それが再び民の手に戻るのは戦後。はや昭和20年大晦日にはラジオで放送され、空襲の傷跡ふかい東京大阪のみならず松本や広島、岡山、札幌など地方都市で続々と演奏が再開された。祖国に還(かえ)れぬ人々を思い、生きる喜びに市民は声をあわせ、心を重ねた。そのエネルギーたるや今の日本からは想像できぬ熱があったと著者。
平和そして自由を謳(うた)う「第九」初演から約200年、戦禍いまだ絶えず。今宵(こよい)、歓喜の歌に祈りをこめたい。