『天路の旅人』沢木耕太郎著(新潮社)
[レビュアー] 南沢奈央(女優)
大陸潜入 苛酷8年追う
まさかこんな場所に辿(たど)り着くと思ってもみなかった。読み終えた本を目の前に、体は熱くなり、半ば放心状態である。
第二次世界大戦末期、中国大陸に「密偵」として潜入していた西川一三(かずみ)。「この希有(けう)な旅人をどうしても書きたい」と、著者が25年をかけて完結させた圧巻のノンフィクションだ。蒙古人「ロブサン・サンボー」として生きた、足掛け8年に及ぶ旅はどんなものだったのか。直接インタビューを行い、西川の著作『秘境西域八年の潜行』の3200枚の生原稿などから、苛酷(かこく)で長い長い旅を辿っていく。
あまりに壮大で、出来事を抜粋してここに書き並べること自体、無理な話だ。想像を絶する困難に直面しながらも敵地を突破していく中で、印象的だったのはツァイダム盆地のシャンからチベットのラサまでの少なくとも3か月はかかる旅の道中のこと。100頭ほどのヤクが勝手に河を渡ってしまい、唯一泳げる西川が連れ戻すことになったときの心情を、<日本男子の底力を見せてやろうというヒロイックな気持>と表現する。日本人であることを隠しながらも日本人としての意地が突き動かし、これがのちに身を助けることになっていく。同じ旅をする者たちと助け合い、信頼を得て、その土地で生きる。<「至誠」は人生の旅における最大の武器>であることを、生涯かけて証明してみせた。
日本に送還される前、刑務所に入ってもチベット語を勉強していた執念には驚かされた。すべては旅のため。西川の旅への熱情がひりひりするほど肌で感じられる。日本が敗戦して密偵としての使命はなくなった後も、旅をつづけた。逮捕されて帰国した後も、旅をやり直したいと願った。亡くなる直前も、もっといろいろなところに行ってみたかったと旅を想(おも)った。未知の土地への憧れと興奮に駆り立てられ、本能とも言えるほどの意志で前へ歩み続ける姿は、現代を生きる我々の心をも打つ。