「食前食中には絶対読んじゃだめ」特殊清掃人の話など、書評家が私怨で選んだミステリ作品7選

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  • 不知火判事の比類なき被告人質問
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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

書評家の大矢博子が私怨でセレクトしたミステリ作品を紹介。「食前食中には絶対読んじゃだめ」と評する特殊清掃人の話など7作品を選んでもらった。

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 先月号の細谷正充さんが担当されたこの欄を読んだとき、ああやっぱり、と天を仰いだ。小川哲『君のクイズ』が紹介されていたからだ。

 いや、そりゃ紹介するよね。十月に刊行されたミステリの中では破格の面白さだったからね。ただ万にひとつ、残ってればいいなあと思っていたのだ。そうしたら私が取り上げられたのに。

 せめて刊行があと半月遅ければ、私のターンだったのになあ。細谷さんにも刊行日を決めた版元にも罪はないし、単なる巡り合わせなのだけれど、「奪われた」感が拭えない。三ヶ月に一度の担当なので、こういうことは避けられないのである。ぐぎぎ……(歯軋り)。

 ということで今月は〈奪われたもの〉を巡る物語を紹介することにした。ほぼ私怨である。

 だが実は、言うほどダメージはないのであった。なぜなら『君のクイズ』に匹敵する、今月の目玉があるから。阿部暁子『金環日蝕』(東京創元社)である。

 舞台は札幌。大学生の森川春風が、知り合いの老婦人がひったくりにあってバッグを奪われた現場に出くわした場面から物語は始まる。とっさに犯人を追跡するも逃げられてしまうが、そこで犯人が落としたストラップに気づいた。それは春風が通う大学の学園祭で売られていたものだったのだ。

 被害者の老婦人が仕返しを恐れて通報を拒んだため、春風は自分で犯人を探すことにする。相棒は、同じ現場に居合わせて春風とともに犯人を追った高校生・北原錬だ。

 このコンビの出会いから、大学内で聞き込みをする様子が描かれる第一章がとても楽しい! 特に錬のキャラクターが秀逸。スマートで何でもソツなくこなし、それでいて嫌味がなく、シリーズ化されたら確実にファンがつきそうな造形なのである。突っ走るタイプの春風を錬がいい感じに制御しながら進める彼らの聞き込みは、そのユーモラスな会話もあいまって、青春小説の魅力に満ちている。

 ところが第二章から、そんな呑気なことは言っていられなくなる。事態は思いがけない方にどんどん転がり、物語は序盤からはまったく想像もできなかった顔を見せ始めるのだ。

 隠されていたものが少しずつ露わになっていく過程は驚きと衝撃に満ちていて、まさに巻を措く能わずとはこのこと。物語が進むにつれ、ひとりの人間がどれだけ多くの顔を持っているかが浮き彫りになる。人は何をもってその人がどんな人なのかを判断するのか。何をもってその人を信じられると思うのか。誰もが心に持つ迷いや揺らぎを、圧巻の筆力で綴ったミステリである。必読。

 米澤穂信『栞と嘘の季節』(集英社)は、高校の図書委員ふたりが巻き込まれる事件を描いた短編集『本と鍵の季節』の続編だ。著者の小説としては二〇二一年下半期の直木賞を受賞した『黒牢城』以来の、久しぶりの新刊である。

 図書委員の堀川と松倉は、返却された本の中に押し花の栞が残されているのを見つけた。その押し花が猛毒のトリカブトだと気づいたふたりは持ち主を探す。さらに学校の校舎裏でトリカブトが栽培されているのを発見。そんなとき、校内で評判の美少女・瀬野が栞の持ち主だと名乗り出て……。

 やっぱり米澤穂信の青春ミステリはいいなあ、と今更ながらに感じ入ってしまう。何がいいって、主人公ふたりの会話だ。これは著者の他のバディもの青春ミステリにも共通しているのだが、メモっておきたいような気の利いた会話が実に楽しい。特に事件なんか起きなくてもこの会話だけ五〇〇ページ続けてくれてもいい。

 とはいえもちろん事件は起きるわけで、本書で奪われるのはその栞である。なぜそんな栞が存在しているのかがポイント。その悲しい理由に胸が詰まる。奪われるのは栞だと書いたが、同時に本書は、自分の尊厳を奪われないための拠り所を求める物語でもあるのだ。

 ミステリとしても細やかに練り上げられており大満足の出来。真相の衝撃もさることながら、全員が少しずつ嘘をついていて、それが予想外のタイミングでぽろっと指摘されるあたりの按配がたまらない。うまいなあ。

 中山七里『特殊清掃人』(朝日新聞出版)は、孤独死などで死体が放置され、汚染された部屋の清掃を専門に請け負う清掃業者〈エンドクリーナー〉の社員が出会ったできごとを綴った連作ミステリだ。無職の二十代女性、女性関係が派手だったITベンチャーの社長、音楽をやっていた男性、そして豪邸に暮らす老人。特殊清掃人たちはその作業の中で遺品や部屋の様子のちょっとした違和感に気づき、そこから思いがけない真相が浮かび上がってくる。

 ここで奪われたのは、亡くなった人の声だ。何かを言い残すこともできず、ひとりで死んでいった人たち。特殊清掃人たちはその声を聞こうとする。相手が否定も肯定も説明もできない死者だからこそ、真摯に、正確に、その思いを汲み上げようとする。些細な違和感が思いがけない真相につながるミステリの趣向も読ませるが、何よりも、誰もが忌避したくなるような無惨な現場で、仕事とは言えそれを厭うことなく最期の声を聞こうとする清掃人たちがいい。そうして奪い返した〈声〉が遺族に届けられることで、隠されていた扉が開く。いや、むしろそこからが本番と言っていい。これは「残された物」と「遺された者」の物語なのだ。

 特殊清掃人の仕事がとても具体的に描かれているのも大きな特徴。こんな作業をするのか、そんな手順なのかと、知らなかった職業の内幕は驚かされることばかりだ。ただしあまりに描写がリアルなので、食前食中には絶対読んじゃだめ。絶対だめだから気をつけて。

 どんでん返しの妙味を味わいたいなら矢樹純『不知火判事の比類なき被告人質問』(双葉社)がオススメ。裁判の傍聴レポートを書くことになったライターの和花の視点で、四つの事件とその裁判が語られる。

 妹の面倒を見るよう命じられて学校にも行けないまま大人になった娘が母親を殺した事件、投身自殺を図った男が下にいた人物を巻き込んで大怪我を負わせた事件、不倫の末に相手を殺し、現場に放火した罪で逮捕された女性などなど、事態は明白に見えるものばかりだ。

 ところが一通りの質問や証言などが出たあと、裁判官からの被告人質問で様相が変わる。判事の不知火がいきなり意図不明の質問をするのだ。傍聴人も検察官も弁護士も、そして他の裁判官も戸惑う中、その質問をされた被告人だけは急に様子が変わって……。

 裁判の間の情報だけで真実を見抜く──一種の安楽椅子探偵ものと言っていい。裁判員制度が始まってから、検察側と弁護側で事前に証拠や証言のすり合わせをするようになったため、かつての法廷ドラマのような突然かつ意外な展開を小説に盛り込むのは難しくなった。けれどこんな方法があったのか、と膝を打った。

 しかも不知火判事の質問というのが、ほんとうに突拍子もないのだ。読者は「なぜそんなことを?」と驚き、その質問の意図がわかったときにもう一度驚くことになる。

 この小説で奪われたものは真実だ。不知火判事は被告人に質問する前に「勇気を持って真実を答えてください」と告げる。懸命に隠していた──たとえそれで有罪になるとわかっていても、それでも隠していた真実。不知火はそれを取り戻すために質問をする。しかも、ただ謎を解くだけではない。その結果そこに現れるドラマこそが本書の読みどころだ。

 彩坂美月『思い出リバイバル』(講談社)は、過去をもう一度体験できるというファンタジックな物語だ。そんな奇跡をもたらしてくれるのは〈映人〉と名乗る謎の存在。噂を辿り、〈映人〉にメールを送り、受け入れられた者だけが招かれる。

 父が殺された日に戻って何があったのか確かめたい女性、高校時代に亡くなった恋人ともう一度会いたい主婦、今の生活が不満で、自分がヒーローだった高校時代の文化祭に戻りたいサラリーマンなどなど。その〈再上映〉が終わったあとで〈映人〉は言う。「思い出を取り戻せましたか?」

 つまりこの連作は、奪われた思い出を取り戻す物語なのである。けれど奪ったのもまた自分自身であるというのが大事なところ。人は自分の見たいようにしか物事を見ない。その中で思い出は美化される。あるいは無意識のうちになかったことにする。だがその一日の〈再上映〉を見ることで、当時はわからなかったことや忘れていたことに気づくのだ。そこに浮かび上がる真実は時として残酷だが、その上で彼らはもう一度歩き出す。なぜなら、どんな過去も思い出も、その積み重ねが今の自分だということを悟るから。

 物語は終盤で意外な方向に展開する。そこには、思い出は逃げ場ではなく、未来へ向かう自分を支えるためのものであるというメッセージが込められているのだ。

 おおっと、なんだか今回は一冊に費やす文字数が多くなって五冊しか紹介できなかった。あとはタイトルだけ挙げておこう。左遷により官職と名誉を奪われた菅原道真が大宰府で奮闘するシリーズ第二弾、澤田瞳子『吼えろ道真』(集英社文庫)と、親の犠牲になって人生を奪われかけたふたりの女性の江戸バディ小説、中島要『吉原と外』(祥伝社)が今月の時代小説の収穫。あわせてどうぞ。どれも読み始めたら止まらず、あなたの時間を奪うこと間違いなしだ。

協力:角川春樹事務所

角川春樹事務所 ランティエ
2023年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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