警察ではなく社会問題を描いている 「安積班」シリーズの作者・今野敏が、30年以上続く理由を語る

対談・鼎談

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秋麗 東京湾臨海署安積班

『秋麗 東京湾臨海署安積班』

著者
今野 敏 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414333
発売日
2022/11/15
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

今野敏の世界

[文] 角川春樹事務所


今野敏と末國善己

「隠蔽捜査」や「碓氷弘一」「樋口顕」シリーズなどで知られる作家・今野敏さん。数多くのシリーズを手掛ける今野作品のなかでも、リアルな警察官の捜査風景を描いて、根強い人気を誇る「安積班」シリーズがあります。今回は「安積班」にフォーカスし、作品誕生の秘密から長年続いていくシリーズを書く上での苦労や楽しみを作者本人に伺いました。

30年以上続く人気シリーズはいかにして誕生し、どのように作られているのか? 捜査現場を描かずに警察小説として成立させた手法についても言及した貴重なインタビューとなっています。

三十年以上続く人気シリーズはいかにして誕生したのか?

末國善己(以下、末國):「東京湾臨海署安積班」シリーズが始まった頃は、集団捜査や、本庁と所轄、キャリアとノンキャリの確執といった警察組織の内実を描いた作品は珍しかったですが、なぜリアルな警察小説を書くことを思い付かれたのでしょうか。

今野敏(以下、今野):海外の警察小説のファンだったんです。マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーが合作した「マルティン・ベック」シリーズと、あまり有名ではありませんがコリン・ウィルコックスの「ヘイスティングス警部」シリーズの大ファンでした。「ヘイスティングス警部」シリーズは、ヘイスティングス警部が主人公ですが集団捜査をしているので、なぜ日本に集団捜査の警察小説がないのか疑問に思っていました。ないのであれば自分で書いてみようと考えたのが最初です。

末國:当時は警察関係の資料が少なかったので、警察小説を書くのは大変だったのではないですか。

今野:大変でした。かっこいいのと、エド・マクベインの「87分署」シリーズを意識して「ベイエリア分署」というタイトルを先に考えましたが、その頃は警察組織に詳しくなくて、日本に分署がないことを知らず後付けで理由を書きました。最初の三冊には警察組織の間違った描写もありますが、いま読み直しても気にならないので修正はしていないです。

末國:シリーズを三十年以上書き続けられていますが、初期の作品と新しい作品で変化はありますか。

今野:書き始めた頃は三十代だったので、四十五歳の安積はかなり年上でした。だから大人であり、理想的な部分も大きかったんです。ただ書き続けていたら、自分が安積の年齢に追いつき、追い越してしまいました。そうすると四十五歳というのも、若い頃とあまり変わらないことが分かってきます。今は安積の方が二十歳以上若くなり、そこから見た四十五歳を書いているので内面の変化はかなりありますが、安積の基本的なたたずまいは変わらないし、変えてはいけないと考えています。芯はしっかりあるけど少しずつ変化していく安積が、読者に心地よく感じられるようにしています。

末國:新作の長編『秋麗』は、身元不明の老人の死体が臨海署近くの東京湾で見つかるところから始まります。被害者は特殊詐欺の出し子をしていた過去があり、そこから安積たちが犯人をたどっていきますが、メインになる事件はどのように決めているのでしょうか。

今野:いつも事件は、考えていません。今回は、老人の話を書きたいというところから始まりました。私も六十七歳になって老い先も短いですが、この年になっても枯れないんです(笑)。だから麗しい人生の終盤という意味で最初に「秋麗」というタイトルを付け、老人を事件に絡めながら物語をふくらませていきました。

末國:遺体で見つかった老人は単なる被害者ではなく、実は加害者でもあったという展開には意外性がありました。

今野:老人たちが集まって、楽しそうに犯罪を進めていくシーンが浮かびました。老人が事件を起こすだけでもよかったのですが、若い世代への復讐心や社会に居場所がなくなっていく悔しさを滲ませるために、老人を加害者でもあり、被害者でもあるという設定にしました。

小説に登場する魅力的な脇役たち


今野敏

末國:今回は水野が活躍しますが、安積の部下の誰をメインにするか考えているのでしょうか。

今野:短編ではものすごく考えますが、長編はバランスよく安積の部下を描くようにしています。ただ、物語が進むとその中の誰かが活躍し始めます。今回も、最初から水野をメインにしようとは考えていませんでした。

末國:捜査本部が設置され、予備班になった安積は捜査本部に残り、入ってくる情報を基に部下へ指示を出します。この展開が、サスペンスを生んでいました。

今野:「隠蔽捜査」シリーズを書き始めて、捜査は現場を書かなくても大丈夫だと気付きました(笑)。捜査本部に入ってくる情報と出て行く情報を整理すれば、警察小説として成立させられる自信になったんです。宮部みゆきは「現場を書かないのは発明だ」といっています(笑)。

末國:今回の脇役では、出し子をしていた被害者を捕まえた葛飾署の広田係長が、いい味を出していました。

今野:広田はぼーっとしていますが、「人は生きている限りは枯れたりしませんよお」など良いことをいうんです。この人が年を取ることについて、一番、達観しているんじゃないでしょうか。こうした広田の視点がないと、ただ老人が事件に巻き込まれただけになっていたかもしれません。

末國:顔認証システムを使って被害者の身元を短時間で割り出す一方、遺体が発見された現場近くを通った自動車の車種は、防犯カメラの映像を速水の部下が見て特定する地道な捜査になっていました。これから科学捜査と足の捜査は、どのような関係になるとお考えですか。

今野:最近は映像情報が多いので、SNSへの投稿、街中の防犯カメラ、ドライブレコーダーの映像は、実際の捜査でも不可欠のようです。ただ映像解析は、時間がかかるんです。だから科学捜査は万能ではなく、刑事の職人的なカンが不要になることはないと思います。

末國:SNSの分析では須田が活躍しますね。

今野:須田は当初からコンピューターおたくという設定だったので、活躍する場を作れた感じです。

末國:シリーズが始まった頃はコンピューターを使った捜査は一般的ではありませんでしたが、現在のように発達すると予想されていましたか。

今野:コンピューターというよりは、通信技術、ネットの発達ですね。子供の頃に『鉄腕アトム』や『鉄人28号』があったので、物理的なコンピューターの発達は予見されていましたが、ここまで通信技術が発達すると予想した人はいなかったのではないでしょうか。ウルトラ警備隊は腕にビデオシーバーを着けていましたが、しいて言えばそれと似た装置が実現したくらいですね(笑)。

末國:東報新聞の女性記者が、ベテランの男性記者からセクハラを受けていると水野に相談したり、何日も警察に泊まり込むような捜査が必要だと考えている安積が、働き方改革の波で若い刑事にそれを命じたり、きつく叱ったりするとパワハラになると悩むなど、ハラスメントの問題が物語を牽引する鍵になっていました。

今野:嘘か本当か分かりませんが、最近の若い警察官は働きたがらなくて、検挙率が落ちているという話があります。少し前に団塊の世代が退官して、警部クラスが大量に抜けたんです。そうなると捜査技術が落ちるし、それは科学捜査だけでは補えないようです。ハラスメントは老害の代表で、年を取るのは害とされがちですが、積み重ねた経験はメリットにもなります。老いというテーマなので、その両面を書きたいというのはありました。

警察小説は社会の縮図なので、ネタに困ることがない。


末國善己

末國:技術の継承は、物づくりの現場でも問題になっているので、日本全体で考える必要がありますね。

今野:そうです。警察は日本社会の縮図でもあるので、警察小説のネタは尽きないです。

末國:老人をめぐる事件を捜査する安積は、離婚して以来ずっと一人で、被害者と同じ七十代になっても一人暮らしをしているかもしれないと考えます。被害者の仲間だった老人たちは一人暮らしで、家族がいても疎遠になっています。老いと家族の問題もテーマの一つのように思えましたが。

今野:老いて家族と疎遠になるのは、日本の社会問題の一つです。昔は大家族で年を取っても家族と暮らせましたが、今は状況が違います。老人が一人暮らしをすると、犯罪に結び付くケースが増えるはずです。この問題は簡単に解決できませんが、解決が難しいことは小説にすると面白いというのはあります。

末國:クライマックスは、速水が大活躍します。いつも迷っている安積と、仕事に自信を持っていて揺らがない速水の対比も印象に残りました。

今野:速水はファンが多いので、後半はファンサービスです(笑)。迷わないのが速水のいいところです。自信を持っているキャラクターを出すと、書いていても安心できます。「警視庁強行犯係・樋口顕」シリーズの樋口と氏家も同じですが、頼りになる友人はなかなかできるものではないので貴重です。

末國:近年の「東京湾臨海署安積班」シリーズは、長編と短編集が交互に刊行されていますが、どちらが書きやすいというのはありますか。

今野:まったく別ものなので比較は難しいですが、〆切でいえば長編が楽です。短編は長編一本書くのと同じエネルギーがいるので大変ですが、各キャラクターに焦点を当てたり、変化球を投げたり、実験的なことができたりするので楽しいです。それと短編を書くのは、作家のトレーニングになります。物語で難しいのは完結させることなので、短編をたくさん書くのは、長編一本終わらせるより価値があります。

末國:シリーズが続くとキャラクターが固定化し、王道的な物語になりがちですが、王道と変化球のバランスはどのように考えていますか。

今野:基本的に、自分が面白いものを書いています。王道はすぐに書けますが、書いていても面白くない。そうすると自然に変化をつけ、読者を驚かせようとする力が働きます。それが長編を書いている時の醍醐味で、何か考えるというよりも、物語が自然と動いていきます。

末國:今後の展開を教えてください。

今野:見当もつかないです(笑)。安積班シリーズを書き始めて三十年以上経ちますが、どうなるか分からないんです。当初は速水がカーチェイスをするなど、思ってもいませんでした。ただ自分の中に安積像があって、それは変わらないと思います。出世していく展開もありえますが、安積はずっと警部補のままで、メンバーも異動せず最後まで行くような気がしています。

聞き手:末國善己 写真:島袋智子 協力:角川春樹事務所

角川春樹事務所 ランティエ
2023年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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