週末ごとに山や海へ連れて行ってくれた父……実は心中するつもりだった 二人の女性作家が語った“父と娘”の厄介な関係

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夏日狂想

『夏日狂想』

著者
窪 美澄 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103259268
発売日
2022/09/29
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

この父ありて 娘たちの歳月

『この父ありて 娘たちの歳月』

著者
梯 久美子 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784163916095
発売日
2022/10/25
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「書く女」ができるまで

[レビュアー] 新潮社

作文だけは褒められた

窪 梯さんが物を書いていこうと思われたのは何歳くらいからですか?

梯 作文が得意な子供ではありました。実は小学六年の時の作文には「童話作家になりたい」と書いたのですが、具体的に就職を考える年齢になった時は、まず編集者になりたかった。窪さんは作文が上手だったでしょう?

窪 私は頭が良くなくて、点数が良かったのは作文だけでした。

梯 作文には本当のことを書いた?

窪 小学一年の時、冒頭に「先生、あのね」とだけ印刷された紙を渡されて、「この続きを何でもいいから書きなさい。夢で見たこととか空想したことでもいいから」という宿題が出たんです。それで行ってもないのに、「お父さんがさっぽろ雪まつりに連れて行ってくれました」とか嘘ばかり書くのが楽しかったし、担任の羽生先生に赤ペンで褒められて、いい気持ちでした(笑)。

梯 私は小学三年の時に「時の記念日」の作文で、家の時計がなくなった話をでっち上げて賞を貰ったんです。文集に載ったから家族も読んだのだけど、誰も「こんなの嘘じゃない!」とか文句を言わない。ああ、入賞すれば世間は許すのねと分かった(笑)。

窪 梯さんはそんなに小さい時から嘘のお話を書いているのに、小説家になろうとは思わなかったのですか?

梯 小説や詩を読むのが好きで、ずいぶん救われてもきました。小説家はずっとあこがれの対象で、だからこそ自分に書けるとはどうしても思えない。同時に、あんな嘘八百の作文を書いた自分は筆が滑る人間かもしれないと警戒していて、ノンフィクションを書く際の「事実と推測をきっちり分ける」「決して話を盛らない」という強い戒めにもなっています。

窪 梯さんの本を読んでいると、禁欲的に書かれているからこそ、すごく熱が籠っているんだと思います。

梯 小説はどうなんでしょう? 書いていて制御不能になったりしますか?

窪 筆が滑るほど調子よく書けることは滅多にないのですが(笑)、水が勢いよく飛び出て暴れまわっているホースをパッと捕まえなきゃいけないような場合はありますね。

梯 分かりやすい比喩! 小説でも想像力を駆使するだけではなくて、抑制する力も必要なんですね。

『夏日狂想』の主人公に託したもの

梯 実在の人物や事件を題材にする場合、小説とノンフィクションの境目をどこに引くかは難しい問題です。窪さんの新しい長篇小説『夏日狂想』(新潮社)は、主人公たちにモデルがいることは読めばすぐ分かりますよね。

窪 ええ、長谷川泰子と中原中也、小林秀雄。

梯 彼らの三角関係から出発しているのに、小説が進むにつれて、事実とはどんどん違う貌を見せていきます。実在の人物を主人公にした〈評伝小説〉というジャンルがあって、女性作家が激動の人生を生きた女性を書くパターンが多いですよね。評伝と名乗る以上、事実を大きく曲げることはできないけれど、心理描写は入れられるし、割と高い評価を得やすくて、私の統計では文学賞を取る確率が高い(笑)。それなのに、なぜ窪さんは『夏日狂想』を長谷川泰子の評伝小説にしなかったのでしょう?

窪 私の作品の流れで言うと、数年前に『トリニティ』(新潮文庫)という長篇を書きました。雑誌のライターやイラストレーターを主人公に、一九六〇年代という、女性たちが表現活動をできるようになった時代を扱ったものです。次はそれより前の、もっと不自由な時代に表現を志した女性を描いてみようと思って、編集者さんと話しているうちに「長谷川泰子がいたな」と。泰子は最初は女優を志し、後には中也と同人誌を出すなど〈書く〉意志もあった人です。そこで調べていくと、彼女は中也や秀雄の周囲の男たちからずいぶんひどい言われ方をしているんですね。天才二人を手玉に取った……。

梯 ファム・ファタルみたいな。

窪 それだといい方で、精神的におかしかったとか、ほとんど毒婦呼ばわりとか、さんざんです。〈おれたちの憧れの中也や秀雄に愛された女〉に対する、男たちの嫉妬を感じました。これはあんまりだろう、泰子は魅力があったに違いないし、時代の制約さえなければ、彼女の才能も花開いたんじゃないか。ただ、泰子の評伝小説を書くには資料が少な過ぎて、後半生はフィクションとして創るしかないと、ある段階で決めました。小説の後半は、私が現実の泰子さんにして貰いたかったことを主人公にさせた、と言えばいいのかな。

 ひとつ、ヒントになったのはタランティーノ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」です。あの映画は実際にあった有名な殺人事件をクライマックスに持ってくるかと見せかけて、全く違う着地をするんですね。ああ、こんなふうに〈偽の歴史〉にしちゃってもいいんだ、と。

梯 『夏日狂想』の後半、まさしく史実から離れて、主人公が〈書く女〉として自立していくさまが、すごく胸に響いたんです。『トリニティ』も名作でしたが、その先まで行ってくれた、よくぞ書いてくれた、と感嘆しました。

 主人公は単に〈書く〉だけではないのです。窪さんが仰ったように、泰子はまず男たちから〈書かれる女〉だったわけですね。周囲からだけでなく、中也も秀雄も、泰子らしき恋人について書いています。それを「女冥利に尽きる」と感じる女性もいるかもしれませんが、書かれることは他人から定義されることでもあります。主人公は自ら〈書く女〉になることで、自分自身を定義し直していく。書くことで人生を生き直すわけですね。

新潮社 波
2023年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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