週末ごとに山や海へ連れて行ってくれた父……実は心中するつもりだった 二人の女性作家が語った“父と娘”の厄介な関係

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夏日狂想

『夏日狂想』

著者
窪 美澄 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103259268
発売日
2022/09/29
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

この父ありて 娘たちの歳月

『この父ありて 娘たちの歳月』

著者
梯 久美子 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784163916095
発売日
2022/10/25
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「書く女」ができるまで

[レビュアー] 新潮社

『この父ありて』の父親たち


梯久美子氏

窪 〈書かれる女〉が〈書く男〉と共犯関係になるケースもあります。つまり、男が書きたがっている女性像を、女が意識的にか無意識にか演じていく。例えば高村光太郎と智恵子もそうだったかもしれませんが、そんな関係は私にはしっくりきません。

梯 島尾ミホさんと敏雄さんも共犯関係にあったかもしれないけれど、ミホさんはやがて自分も〈書く女〉になっていきました。エッセイだとミホさんも〈敏雄さんとは愛し愛された理想の夫婦関係でした〉みたいに、まだ世間の通念と折合いをつけるように書くのですが、小説の場合は突き抜けて、夫婦の悲惨や愛の残酷さを描いていく。虚構の力で真実を吐露しています。

窪 『この父ありて』によると、ミホさんのお父さん(養父)は素敵な方だったようですね。

梯 大平文一郎さんですね。温厚な人格者で、教養もあって、真珠の養殖とかシベリア鉄道への枕木の輸出とかさまざまな事業を興したけれど、どれも上手くいかなかった。すべては奄美のためで、こういう一身を故郷に捧げる人が昔はいたんだとしみじみしました。

窪 石牟礼道子さんのお父さんも魅力的でした。学歴はなくても、いろいろ深い言葉を吐く方で、それこそ昔はこういうお年寄りがいたなあと懐かしくなりました。

梯 石牟礼さんの父・亀太郎さんはまさに市井の哲学者。貧しい農家に生まれ、小学四年までの学歴しかなくて石工になったのですが、物事の根本から考えを組み立て、筋を通して生きた人でした。ただ時代に恵まれず、厳しい境遇に育ったこともあって、鬱屈から酒癖が悪かったそうです。酔って暴れ出すと、お母さんは幼い弟を連れて逃げ、入学前の石牟礼さんが酒の相手をした。彼女は三十代のエッセイでは亀太郎さんのことを批判的に書いているのですが、年齢と共に父への視線が変わっていきます。

窪 ああ、分かる気がします。

梯 石牟礼さんに限らず、若い頃は「こんなお父さんであって欲しかった」という理想の父親像があって、実際の父に反発していたのが、年齢を重ねると距離がとれるようになって、父には父の事情があったんだと理解できる場合がある。『この父ありて』に取り上げた女性たちは、みんな長生きなんですよ。だからなのか、父の死後に関係を結び直すことができています。

窪 私も長生きしたいな(笑)。

梯 ただ、長生きしたからといって、父親を許せないままの場合もある。一筋縄ではいかないのが父娘なんですけどね(笑)。

子供の方が愛している

窪 梯さんの本はいつも驚くような事実が明かされますが、今度の本でも、石牟礼道子さんが何度も自死を試みていたというのには吃驚しました。

梯 石牟礼さんは、こつこつと水俣病患者に取材して『苦海浄土』を著し、患者たちのために長年尽力して、最期まで折目正しい文章を書いた立派な方、というイメージですが、どうやら晩年まで〈死にたい人〉だったようなのです。憑依体質という言葉は使いたくありませんが、幼い頃から、他人の哀しみや苦しい感情が自分の中に入ってきてしまう少女だったようです。

窪 島尾ミホさんにも似たところがありますか?

梯 ミホさんは自我がものすごく強いから、むしろ他人の感情などを寄せつけないタイプだったと思います。石牟礼さんみたいな方は、長く生きるのが大変だったかもしれません。

窪 田辺聖子さんのお父さんは、こう言うと言葉が悪いのですが、敗戦後、急激にダメな人になっていきますね。

梯 戦前の田辺貫一さんは明るくて、カッコよくて、写真技師としての腕前もよくて、聖子さんを大事にして……という父親だったのが、昭和二十年六月一日の大阪大空襲で自分の写真館が灰になったのを機に、まるで覇気を失くしてしまう。田辺さんの当時の日記を見ると、そんなお父さんが歯痒くて苛立っていたことがわかります。

窪 父親が二・二六事件に巻き込まれた齋藤史さんや渡辺和子さんは勿論、この本で取り上げた方の多くは戦争で人生が大きく変わります。そこに梯さんならではの視線を感じました。

梯 私が好きな女性作家を並べて、彼女たちの父親を調べていったら自然とそうなったんですけどね。九人のうち、一九二〇年代生まれの人が六人。夫はぎりぎり戦争へ行かずに済んだかもしれないけれど、親は戦争でひどい目に遭った、という世代です。当り前のことですが、人は「どんな時代に生まれたか」という制約が大きいなあと再認識しました。格別に弱いとか愚かだったわけではなく、ただ時代のせい、例えば戦争のせいで、父親ひいては娘の運命が大きく変わっていきます。

窪 私が自分の父親のことを一〇〇%責められないのは、ちょうどサラ金が最悪の時代だったせいで、借金がどんどん膨らんじゃったんですね。今の時代だったら、あそこまで酷い目には遭わずに済んだでしょう。そして私自身は高度成長期に生まれたことが自分を形作っていると思っています。

梯 私の父は昭和三年生まれで、中学の途中で陸軍少年飛行兵学校へ移って、戦後は自衛隊に入隊しました。母は九年生まれで、宮崎で九人きょうだいの家に育って、中卒で福岡の紡績工場の女工になります。両親が自衛官と女工というのは、イヤだったわけではないけれど、「何も少年兵から自衛官にならなくても」「何も女工にならなくても」みたいな思いが正直ありました。今の言葉で言う〈文化資本〉がない家で、ハードカバーの本なんて家に一冊もありませんでしたからね。

 でも調べていくと、両親は田舎の農家で生まれ育った昭和ひとケタ世代の、ひとつの典型ともいえる経歴の持ち主なんですよ。軍の学校に入るのは家が貧しい男子が進学するほぼ唯一の手段だったけれど、戦後になるとそれは学歴として認められなかった。私の父は高等小学校卒の学歴で社会に出ることになりました。同じように少年兵だった人たちに取材したら、あの時代、警察か自衛隊か消防署なら就職できた、と。紡績女工はというと、朝鮮戦争の特需で給料も福利厚生もよくて、地方の学歴のない女の子の憧れの職業だった。前の東京五輪の女子バレーの選手はみんな女工さんでしたよね。

窪 親がどんな人生を歩んできたのかが分かってくると、日本や時代というものが見えてきますよね。でも、私はまだ父や母のことが十分には分からずにいます。つくづく思うのですが、子供の方が親のことを深く考えていますよね。父は亡くなりましたが、母は健在なんですよ。彼女は、私が母のことを考えてきた十分の一も私について考えたことがないと思う。それが切なくて、また新たな憎しみが(笑)。

梯 うん、絶対に子供の方が親のことを考えるし、愛していますよね。

窪 息子がいるんですけど、彼は私のことをそんなに考えてない気がする(笑)。最初の話題に戻るようですが、梯さんのエッセイを読むと、お父さまのことをすごくお好きですね。

梯 露わには書いていないと思いますが、文章ってバレますね(笑)。私は三姉妹の末っ子で、父は男の子が欲しかったんです。私が生まれた時、産院に駆けつけたら「女の子です」と言われて赤ん坊の顔も見ないで帰った、というのはわが家の笑い話になりました。そんなこともあって、コンプレックスとまではいきませんが、私は「父から期待されていない」と思いながら育ったんですね。するとどうなるかと言うと、先生や上司など、父に代わる男性の期待に応えようとする人間になるんです。父は自衛隊で全く出世しなかったのですが、そんな父への反発か、若い頃の私は、いかにも出世しそうなタイプの人が好きだった(笑)。

窪 父親って変なところで影響力を発揮するんですよね。お金に困って一緒に心中しようとした父なのに、でも好きってどういうことよ、と今でも思います。おかげで私は〈ダメだけど優しい人〉と感情的にギリギリしないと恋愛した気になれないんです。心中に誘われたいわけではないけど(笑)。

梯 ふんわりと穏やかな恋愛では満足できない?

窪 女性に対する好き嫌いの原型が母に作られたのなら、男の好みは父かよ、と思います。父親って、本当に罪作りな存在ですよ。

梯 しかし、娘たちがこんなに親のことを考える時間や労力は一体どこに行くんでしょうね。

窪 『この父ありて』の九人のように、そのうち作品に還元されるんだ、と開き直るしかないですよね(笑)。

この対談はコトゴトブックスで収録されました。『夏日狂想』や『この父ありて』のサイン本付き対談動画はコトゴトブックスで二〇二三年一月末まで配信中(有料)です。

 ***

窪美澄
1965(昭和40)年、東京生まれ。2009(平成21)年「ミクマリ」で女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞。受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』が、本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10第1位、2011年本屋大賞第2位に選ばれる。また同年、同書で山本周五郎賞を受賞。2012年、第二作『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞を受賞。2019(令和元)年、『トリニティ』で織田作之助賞を受賞。その他の著作に『アニバーサリー』『よるのふくらみ』『水やりはいつも深夜だけど』『やめるときも、すこやかなるときも』『じっと手を見る』『私は女になりたい』『朔が満ちる』などがある。

梯久美子
1961(昭和36)年熊本県生れ。北海道大学文学部卒業。編集者を経て文筆業に。『散るぞ悲しき』で2006(平成18)年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、同書は米・英・仏・伊など世界8カ国で翻訳出版されている。2016年に刊行された『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』は翌年、読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞の3賞を受賞した。他の著書に『世紀のラブレター』『昭和二十年夏、僕は兵士だった』『昭和の遺書――55人の魂の記録』『百年の手紙――日本人が遺したことば』『廃線紀行――もうひとつの鉄道旅』『愛の顛末――純愛とスキャンダルの文学史』『原民喜――死と愛と孤独の肖像』など多数。

新潮社 波
2023年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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