『俺が公園でペリカンにした話』
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世界をデフォルメして描く天才がリズミカルに綴る地獄絵図
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
世界と私のどちらかがおかしい。
そう感じてしまう人にお薦めしたいのが平山夢明『俺が公園でペリカンにした話』だ。いつの間にか狂ってしまった世界をぽかんと眺める男が語り手を務める物語である。
〈おれ〉は名前の明かされない流れ者だ。表題作では、拾ってくれた運転手が股ぐらに手を伸ばすのを拒絶して車から降ろされる。そして案山子に扮した男が村人から石をぶつけられる場面に出くわすのである。
このようにヒッチハイクが中断されるという形で〈おれ〉はさまざまな街に足を踏み入れ、世界がいかに不公平か、偽善者が顔に張り付けた笑みがどれほど醜いか、といった身も蓋もない真実を目の当たりにすることになる。端的な社会批評としても読むことができる小説で、たとえば「ろくでなしと誠実鬼」では、真摯に贖罪しようとする者に対する世間の残酷さと、正論を口にする者の安っぽさとが等価で描かれている。
世界をデフォルメして描く天才・平山によって、この世のものとは思えないがこの世のものでしかありえない情景が次々に描かれていく。惨い折檻を子供に加える大人が住む街の話「子供叱るな来た道だものと、こびと再生の巻」、権力者が弱者を徹底的に愚弄しまくる「五十五億円貯めずに何が人間か? だってさの巻」などはヒエロニムス・ボッシュの諷刺画を思わせるグロテスクさである。
各篇の題名は内容をそれとなく暗示している。特に「わがままはわがままぱぱのんきだね」「命短し、乙女はカーマ・スートラだってよの巻」は読後に題名を見返して笑ってしまった。その通りの話なのである。この言語感覚が素晴らしい。リズミカルな文章で綴られる地獄絵図の、なんと凄惨で、なんと楽し気なことか。
異邦人の視点から現実を描く物語を書き続けてきた平山の、これが新たな代表作である。この醜い世界に私たちは住んでいる。だが〈おれ〉と違い、どこにも流れていけない。