『戦後日本映画史 企業経営史からたどる』井上雅雄著(新曜社)
[レビュアー] 金子拓(歴史学者・東京大准教授)
盛衰の裏 いびつな構造
映画史というと、作品論・作家論といった「表象論的アプローチ」であったり、俳優に注目した切り口でまとめられるのが一般的だろう。これに対して本書は、映画会社の企業経営や企業間競争、業界と政府の関係など経営学的な視点から映画史を叙したものである。対象は1940年代から50年代に至る日本映画界であり、とくに大映の経営に注目して、日本映画の繁栄と衰退の様相を明らかにしている。
本書の論点は大きく二つある。ひとつめは、国家(政府)との関わり。第二次大戦中から戦後GHQへという政府の映画に対する統制、また、占領終結後の経済自立再建にあたり、外貨獲得の手段である輸出産業として映画に注目して(きっかけは黒澤明監督が大映で撮った「羅生門」の国際映画祭グランプリ受賞)保護・支援に乗り出す政府と、映画の輸出収入に対する法人税や撮影機材の輸入にかかる関税の免税を訴える企業側のせめぎ合いをたどっている。
いまひとつは、製作・配給・興行の三業態に分かれ、それぞれの思惑で利益を追求する映画産業の構造への注目である。売り手市場である映画産業で割を食うのは興行(映画館経営者)側であり、常に赤字経営の危機に瀕(ひん)していた。
安定した収益を望む興行側に対し、東映が二本立て製作・配給を開始し、直営館の確保に力を入れたことなどから映画館が急増する。東映は製作数の増加にともない業務の合理化を図って収益トップの座に躍り出、映画館の増加は映画人口の裾野拡張に大きく寄与して50年代後半の黄金期を現出した。しかし著者は、このことこそが逆に映画産業の危機を招いたと指摘する。粗製濫造(らんぞう)による作品の消耗品化である。
製作・配給・興行のいびつな関係が現今の映画産業の問題にも通底していることは、本紙の昨年12月6日付朝刊で報じられている。本書の歴史的分析のなかに、いまの問題を打開するためのヒントは隠されているだろうか。