ありふれていて、どこにもない

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

犬も食わない

『犬も食わない』

著者
尾崎 世界観 [著]/千早 茜 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101044514
発売日
2022/12/23
価格
693円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ありふれていて、どこにもない

[レビュアー] 彩瀬まる(作家)

彩瀬まる・評「ありふれていて、どこにもない」

 なんでそんな人と付き合ってるの? と友達から呆れ顔で突き放される恋は珍しくない。言ったことがある人も、言われたことがある人も、星の数ほどいるだろう。

 相手のどこが好きかなんて説明できない、なんならもう一緒にいて不快な思いをすることの方が多いのに、なぜか別れられずにずるずると付き合い続けてしまう。ずっと続ける覚悟もないのに、本当に続けたいのかもよく分からないのに、漫然と続けてきたから関係性はとっくに傷み、心にも体にも毒にしかならないって分かっている。それでもあれこれと理由をつけて、別れない。そんな、友達に説明しにくくて理解もされない、ともすれば十数年後に黒歴史扱いすることになる恋は、とてもありふれているのに、なかなか小説には描かれない。

 なにせ友達ですら「なんでそんな人と付き合ってるの?」と首を傾げる恋だ。もしかしたら読者にも「この二人、早く別れればいいのに」なんて思われるかもしれない。分かりやすくてきらびやかな、結婚式のプロフィールムービーに編集しやすい恋の方が、理解されやすいし、書きやすい。

『犬も食わない』はこの世に多く存在する、だけど言葉にされてこなかった「理解されない」恋の物語だ。

 千早茜さんが描く女性主人公、派遣秘書の二条福は、頭に血がのぼると普段の行き届いた社会人の仮面をかなぐり捨て、投げやりで攻撃的な「間違った」選択を行ってしまう。その「間違い」がいつも彼女の人生に予期せぬ厄介ごとを呼び込む。

 尾崎世界観さんが描く男性主人公、廃棄物処理会社に勤める桜沢大輔は、自分を取り巻く物事への好悪を感じるアンテナが鋭く、日常の様々な場面で精密に喜びや怒りを感じ、その感情の起伏に沿って行動している。逆に、自分の感情から逸れて少しでも欺瞞を感じる行動は一切取らないし、取れない。そうした内面の推移を言語化して他者と共有しないため、やたらと突発的かつ意味不明な行動をとっているように見える。

 福も大輔も、比較的穏当に体裁を整えた外向きの顔と、どうしようもなく行き詰まる内向きの顔がある。二人は出会って早々に罵り合い、恋仲になったあとも居心地の悪さを感じ、部屋のなかの体温計の置き場所すら同意が形成されないまま、大小の喧嘩を繰り返す。時に福は大輔を「将来性の欠片もない意味不明で馬鹿な男」だと感じ、大輔は福を話し合う対象ではなく自分にとって心地よい状態を維持するために「長期戦に持ち込んで、弱ってきた所で一気に仕留め」る対象として見ている。読んでいて、お互いにどこが好きで付き合ったんだろう? と思うが、二人はそれを言語化しない。むしろ怒濤のように押し寄せる日常のつまずきや、こう在りたいと願っても些細なことでまだらに歪む自己像に翻弄される、極めて現実的な二人の暮らしを見ていると、好きの言語化なんてしない方が自然だ、とすら思えてくる。

 明言されないのに、なぜ二人が離れないか、感じ取らせる力を持っているのがこの小説の凄いところだ。いちごミルクの甘ったるい飴を床にぶちまけて犬のようにわめく福から、埃臭いクローゼットの中で汗をかいている大輔から、目が離せない。それはおそらく、その人が本当なら誰にも見せたくなかっただろう、どうしようもなく行き詰まった内向きの顔、「最悪」の状態を見てしまったからだ。その人がへたり込んでいる床の、ぎょっとするような冷たさ、居心地の悪さ、恥と限界を見て、なにかを感じてしまった。嘲り、侮り、憐憫、嫌悪。湧き上がった様々な感情のごった煮を飲み下すと、それは生ぬるい愛着に変わっていく。

「最悪」を一つ越えるたび、別れるきっかけも減る。相手を知るということは、その相手と結びついてしまうという意味で厄介だ。厄介だけど、その厄介さが関係を、他のなにとも替えがたい唯一のものにしていくのかもしれない。

「犬も食わない」関係の二人は通じ合わない。心どころか、言葉すらまともに交わすことはない。隣り合ってすらいない。だけど、お互いの「最悪」な姿を知っている。取り繕うこともできず地べたに座り込んだ姿を、一人と一人のまま、それぞれに心もとない尻の冷たさを感じながら眺めている。

 ありふれていて理解されない二人の関係は、厄介なくらい唯一無二だ。理解されないだけでなく、理解される必要のない恋でもある。もしかしたら誰もがそうなのかもしれない。言語化されず、褒め言葉なんて一つも出てこない、だけど手放しがたくて他のどこにもない、唯一無二がそこにあるのかもしれない。

 なんでそんな人と付き合ってるの? なんて、この小説を読んだら二度と言えない。

新潮社 波
2023年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク