『戦争とプロレス プロレス深夜特急「それぞれの闘いの場所で」・篇』TAJIRI著(徳間書店)

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戦争とプロレス プロレス深夜特急「それぞれの闘いの場所で」・篇

『戦争とプロレス プロレス深夜特急「それぞれの闘いの場所で」・篇』

著者
TAJIRI [著]
出版社
徳間書店
ジャンル
芸術・生活/体育・スポーツ
ISBN
9784198655075
発売日
2022/09/29
価格
2,310円(税込)

書籍情報:openBD

『戦争とプロレス プロレス深夜特急「それぞれの闘いの場所で」・篇』TAJIRI著(徳間書店)

[レビュアー] 川添愛(言語学者・作家)

レスラー 揺れる世界をルポ

 著者は、世界最大のプロレス団体WWEで活躍した実績を持ち、世界中から選手兼「プロレスの先生」として招かれるレスラー。本書は、著者が世界を駆けずり回る日々を軽妙洒脱(しゃだつ)に綴(つづ)った旅日記であると同時に、プロレスというフィルターを通してコロナ禍と戦争に揺れる世界を見た貴重なルポルタージュでもある。

 プロレスと旅と人生とが三位一体になった著者の文章からは、ニュースではなかなか伝わってこない各国の事情や個人の感情が見えてくる。たとえばあるポルトガルのレスラーは、ウクライナから来た難民たちの生活が保障されていることに羨望の眼差(まなざ)しを向ける。オーストリアのレスラーは「この国にいるウクライナ人は金持ちばかりだ」と言い、同じ難民でも行き先にランクがあることを指摘する。ウクライナの隣国ポーランドでは、戦争開始以降にプロレス界の景気が良くなったというが、その理由は「戦争がコロナを忘れさせたから」。世の中というのは想像以上に複雑であるようだ。

 本書でたびたび描かれるのは、不条理な状況下で「何者か」になるために奮闘する若者たちの生き様だ。イタリアから来日していた若手のフランシスコ・アキラは、コロナ禍のために二年間も母国に帰れず、孤独に苦しみながら着実にキャリアを積んだ。また、現在オーストリアで活躍中の“世界初のシリア難民レスラー”ジョージは、プロレスラーになる夢を胸に故郷を脱出し、小さなゴムボートで真冬の海を渡りギリシャにたどり着いたという壮絶な経験を持つ。劣悪な環境下で生きることを強いられた若者たちにとって、プロレスの世界で成功することは数少ない希望なのだ。

 謎のゴミ屋敷に泊まったり、炎天下の中エアコンのない車で6時間移動したり、旅のハプニングにも事欠かない。それでも、プロレスという共通語でつながった仲間たちはみな暖かく、底知れないエネルギーと人間愛を感じさせる。ここ数年は人間に失望することが多かったが、本書を読んで「世の中まだまだ捨てたものではない」と嬉(うれ)しく思った。

読売新聞
2023年1月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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