登山途中に凍死 事故死に見せた完全犯罪
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「雪山」です
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高度経済成長が始まる昭和三十年代のはじめ、時代にゆとりが出たためだろう、登山ブームが起きた。
信州に向かう夜行列車が出る新宿駅は、休日前の夜には大きなリュックを背負った登山客でにぎわった。
井上靖の山岳小説『氷壁』はベストセラーになり、「ザイルは切れたか」が流行語になるほどだった。
松本清張の山岳ミステリ「遭難」は昭和三十三年、この登山ブームのなかで書かれた。登山に殺人をからめたのが清張ならでは。
夏の終わり、山好きの銀行員が北アルプスの鹿島槍ヶ岳に挑む。ベテラン、山登りが面白くなりはじめた中堅、それに初心者の三人。
この登山で途中、霧と雨に悩まされた中堅の銀行員が凍死してしまった。
不運な事故死だった。
ところが、この事故の次第を初心者が山岳誌に発表したために事情が変わる。
死んだ銀行員の従兄という山好きがその文章を読み、事故を不審に思う。銀行員の死は、事故のように見えながら、実は先輩のベテランによって仕組まれたものではないか。
疑問を持った従兄は、その先輩と二人で冬、雪の鹿島槍に登り、本当に事故だったのかどうか検証しようと試みる。はたして――。
ミステリにプロバビリティ(確率)の犯罪なるものがある。谷崎潤一郎の初期作「途上」が知られる。
犯人は直接手を下さない。相手を危険な状況にそれとなく追いこみ事故死させる。
山がみごとな完全犯罪の舞台になった。