『徳富蘇峰 人と時代』
書籍情報:openBD
『変革する文体 もう一つの明治文学史』木村洋著(名古屋大学出版会)/『徳富蘇峰 人と時代』和田守著/伊藤彌彦編(萌書房)
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
文学・思想 蘇峰知る2冊
明治時代、一八八〇年代に自由民権運動と連動しながら「平民主義」を唱えはじめ一世を風靡(ふうび)した徳富蘇峰。その政論家・ジャーナリスト・歴史家としての活躍は、実は日本の近代文学史にも大きな影響を与えていた。
木村洋の新著は、テクストの本文だけでなく、目次や広告の画像など多くの資料を活用しながら、思想史の大胆な書き換えに挑戦する。蘇峰が若くして言論界に衝撃を与えたのは、文学・哲学・宗教といった「精神的道徳の文明」の確立を唱え、哲学的な随筆を量産し、雑誌『国民之友』を文学者の活躍の場にも提供したからであった。
従来の文学史の叙述では、政治や社会から独立して人間の内面を語ることが「近代文学」の成立と語られてきた。だが、北村透谷や国木田独歩による「内面」の語りや、「社会の罪」を暴きだす写実主義・自然主義の志向は、そもそも蘇峰の影響圏から分かれ出たものだったのである。それは同時に、「人生」をめぐる問題を「社会」の内で討議する空間を作ろうとする試みでもあった。木村は泉鏡花や平塚らいてうも含め、文学者たちの営みをそう読み直している。
政治思想史研究の大家で四年前に亡くなった和田守が遺(のこ)した評伝から、蘇峰のその後をうかがうことができる。日清戦争の前後から、「帝国主義」への転回と「儒教」の再評価をみずから表明するようになる。だが他面では英国を模範として、国内では「自由寛裕」な政治を推進しようとめざす姿勢を持続させ、女性を含めた普通選挙の導入も早くから唱えていた。
のちに蘇峰が昭和の戦争を正当化したことに関する和田の批判は厳しいが、木村の新著と比べながら読むと、むしろそうした側面が浮かびあがってくる。十九世紀の末からさまざまな領域での社会活動が活発になる過程で、蘇峰も文学者たちも、それぞれの読者を相手にしながら、試行錯誤をくりかえしていたのである。