『水 本の小説』北村薫著(新潮社)
[レビュアー] 鵜飼哲夫(読売新聞編集委員)
名著や作家 つながる旅
読み出したら止まらない――これは傑作の条件の一つだが、小説にはゆっくり読む楽しさもある。ある文章に立ち止まり、青春を回想する。表現に目が釘(くぎ)付けになり、作家の心に思いをはせる……。
よい小説には、ファスト読書させない力がある。本書は、じっくり本とつきあいながら、本から作家、人から文章へと連想を広げ、本の魅力を伝える《ものがたり》である。
収録7編の冒頭「手」では、向田邦子のエッセー「キャベツ猫」の話が、村上春樹作品につながり、そこから落語や中国文学者、吉川幸次郎の話にも飛ぶ。知らない名前が多いと敬遠することなかれ。読めば連想の面白さにはたと気づく。
思えば、どんな作家も、書き始めるまではただの読者で、どんな小説も、多くの本から言葉のエネルギーを掬(すく)い取り、吸収してきたことの結果である。直木賞作家で、アンソロジーの名手である北村さんは、こうして生まれた本の源流を旅する名人なのだ。
表題作「水」は、浅野川、犀川が流れる金沢が舞台で、メインは自然主義の作家、徳田秋声。泉鏡花、室生犀星と並んで金沢三文豪とされるが、現代ではちょっと影の薄い作家である。
しかし、著者は、中央公論社版の全集「日本の文学」での評価は、漱石と谷崎潤一郎につづく高さだった事実を示し、その私小説の独自のスタイルを解読。さらにはノーベル賞作家の川端康成が、日本の小説は、〈西鶴から秋声に飛んだ〉と評したことを紹介したうえで、秋声と江戸川乱歩の見えざる接点、鏡花との因縁も語り、金沢巡りでは犀星の孫とも会う。
〈作品は動かずに、そこにある。しかし、いかに読む時、読む者によって、その色合いを変えることか〉とあるが、まさにその通り。かつて読んだ本も、著者の手にかかると、読みの発見があり、未読の本はついつい読みたくなる。
本書を読みながら、小林信彦さんの『悪魔の下回り』や伊藤人譽の本など3冊を買ってしまいました。これはうれしい散財です。