<書評>『小説作法の奥義』阿刀田高 著
[レビュアー] 江上剛(作家)
◆乱れた好奇心 創作の原点
本書には三つの罠(わな)がある。
一つ目は、自伝の罠。著者は「どうして小説家になれたのか」という疑問に対する答えとして、生まれつき言葉に関心があったのかもしれないと気づく。落語に惹(ひ)かれ、理系にも関心のある「乱れた好奇心の持ち主で、頭の中は混沌(カオス)」な子どもだった。肺結核療養中に「欧米の作家の短編集は手に入る限り読み尽くした」。勤務した国立国会図書館は混沌(こんとん)とした知識の宝庫だった。依頼に応じて雑文を書き始め、やがて直木賞作家となる。著者の軌跡を辿(たど)ると、作家になるために運命の道が拓(ひら)かれていたように見える。作家志望の人はこれを読んで、目の前に現れる運命を「へへ、暢気(のんき)だね」と掴(つか)んでいれば作家になれると思わせる。
二つ目は、読書案内の罠。本書で紹介された膨大な本のリストに、田河水泡もあればエラリー・クイーンのミステリーもある。混沌そのものである。興味深く本を紹介することで、多くの人を本好きに誘導しようとする罠である。
三つ目は、小説作法の奥義を教える罠。「視点」の問題を採り上げた箇所は、作家志望者なら必ず読まねばならない。「一つの作品の最初から最後まで視点を変えずに書くのが小説のセオリー」なのだが、視点の揺れを気づかせないのがプロだとの指摘だ。
著者には『ギリシア神話を知っていますか』などの「知っていますか」シリーズがある。「自分なら、楽しく、やさしく、親しみやすく綴(つづ)ることができる」自負が「オリジナリティのありか」であると言う。小説作法、すなわちテクニックは教えても「奥義」たるオリジナリティは、自分で探せ、教えられないぞ、と突き放す罠である。
「この世を模していながら異質の世界」を支配する「闇彦」(自身の命名)の末裔(まつえい)を自認する著者。米寿となり、妖しい異界の描き方に磨きがかかるに違いない。もう一つの罠が見つかった。それは本書は阿刀田高ワールドへのガイドブックとなっていることだ。読了後、著者の作品を手に取らざるを得なくなる罠に、まんまとかかってしまった。
(新潮社・1925円)
1935年生まれ。作家。79年、短編集『ナポレオン狂』で直木賞。『新トロイア物語』など。
◆もう1冊
阿刀田高著『闇彦』(新潮文庫)