少女は何から逃げているのか? 現代ネットホラーの第一人者が紹介する複雑かつ緻密な上に歪んでいる物語

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浮遊

『浮遊』

著者
遠野 遥 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309030890
発売日
2023/01/19
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

合わせ鏡のアナモルフォーズ

[レビュアー] 廣田龍平(文化人類学者、民俗学者)

 十六歳の少女ふうかは父親と同じくらいの年齢のITベンチャーCEOである碧と同棲し、金銭的には不自由なく暮らしている。リビングルームには、碧が前に交際していた女性の制作したマネキンが置かれていて、それに見つめられながら、ふうかは「浮遊」というホラーゲームに没頭する。ゲームの主人公はふうかと同世代の少女であり、いつのまにか記憶喪失の幽霊になってしまったらしい。幽霊は生者に認識されない。父親と同じくらいの男性キャラ(やはり幽霊)が彼女に付き添い、記憶を取り戻す手助けをする。悪霊の襲撃を回避してクリアした先にあるのは絶望か破滅か、それとも、日常か。

 物語はふうかの知覚に沿って進んでいく。そのため、ゲーム世界と現実世界の描写は区切りなく続いていくが、混乱があったり見分けがつかなくなったりすることはない。この二つの世界は、あくまでも要素が褶曲的に交換されていく関係にあり、その意味で明確に独立しているからだ。

 この関係が違和感なく受け入れられるのは、悪霊にしか認識されない、自己認識を喪失した幽霊という非現実的な設定が、ふうかのような少女の存在する現実に、怖ろしいほどに近接しているためである。ゲーム内で少女は繰り返し悪霊に頸部をしぼられる。現実世界における女性もまた、男性による性的搾取・眼差しや知的搾取の対象として描かれる。

 とはいえ悪霊と違い、そしてゲーム中の生者と同じように、現実世界の人々は無視も多用する。少女は生きながらにして、主体的な働きかけのできない幽霊と化してしまう。

 これまでの著者の作品において、肉体の交錯が露骨に描かれていたとすれば、本作においては、女性たちの、肉体としての存立条件それ自体が問われている。浮遊する身体から脱落していく具体的な欠片(かけら)だけが、彼女らが現実に根差した存在であることをほのめかしている──手の皮脂、口内の汚れ、長い髪の毛、吐き出された小さな肉塊。しかし、そうした欠片もまた、登場人物による、あるいは読者による呪術的・犯罪的解釈によってホラーアイテムの価値を帯びることとなり、肉体性をふたたび喪失する。

 遠野遥の文章を読んでいると、鏡を通して出来事を見せられている感じがする。どの次元も精密に映し出されているのだが、どこか奥行きがないかのようにも見え、縁の向こうが欠けているようにも見える。本作にも同じ印象を抱きつつ、しかし鏡映的なイメージは、『浮遊』においては、物語の進行自体に埋め込まれるに至っている。神話の構造分析的な意味で、この物語は複雑かつ緻密に構成されており、そして歪んでいる。神話がどこまでも変形していくように、本作もまた、どこまでも展開していくように見えて、ゲームそして物語そのものの枠が、アナモルフィックな変換を円環的に仕立てることによって、作品内の現実世界からのみ、一見して不意に、切断が到来する──分かっていたはずなのに。

河出書房新社 文藝
2023年春季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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