哲学研究者が解説する、堀千晶の著書『ドゥルーズ 思考の生態学』の読みどころ

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ドゥルーズ 思考の生態学

『ドゥルーズ 思考の生態学』

著者
堀千晶 [著]
出版社
月曜社
ISBN
9784865031553
発売日
2022/10/19
価格
3,520円(税込)

ノマドは半開きの窓をもつ

[レビュアー] 中西淳貴(哲学研究者)

 たしかに、世紀はドゥルーズのものとなりつつある。近年のドゥルーズ研究の進展はめざましく、日本語圏でもすぐれた研究書が数多く出版されている。本書もまずはそのひとつである。ただし、「語と概念における戦争機械」(12頁)でもある点において、本書は際だっているといえる。

 こうした側面がもっとも明示的に展開されるのは、第三部のノマド論である。すでに第二部で、世界の基底にはアナーキーな〈自然=機械〉がみいだされている。ただし、〈自然=機械〉がアナーキーだとしても、その〈自然=機械〉と一体化する「純粋なノマドは存在しない」。ノマドは、アナーキーな自然のもとになんらかの領土(テリトリー)を占めねばならないからである。かくして、〈自然=機械〉を折り畳んでアナーキーな生を実現するノマドたちの技術という問いが開かれる。「純粋なノマドロジー=存在論と、分割されない《存在》の空間上での生態学(エトロジー)=実存論とのあいだ」(362頁)が、この問いのありかとなるだろう。

 ノマドは、秩序から反照的に夢みられる擬アナーキーとしての無秩序を生きるのではない。アナーキーに住まうノマドは、生きのびるため、やりすごすため、壊すため、出会うための洗練された思考や身ぶりを有している。充実した器官なき身体と空虚なそれとを区別する際、「激しいものとなりうる実験や行動のなかで、落とし穴に入り込み、何も出来なくならないようにするための用心深さ、慎み」(428頁)の重要性が指摘されることからも明らかだろう。そして、こうした慎みによってはじめて、ノマドは「新たな実存様式の創出」に向かう他者との回路を開き、集団性を生じさせうるのである。

 ここにおいて、第一部における不共可能性論は、他者との出会いによる生成変化という具体性を帯びる。「近傍(ネイバーフッド)」の問題は、「近所(ネイバーフッド)」、さらには「地元(フッド)」の問いに変貌するだろう。それは、あらゆる出会いが生成変化をもたらすのかという別の問いを呼びこむにちがいない。たとえば、この都市には数えきれぬ力線が走っている。その線のいくつかは、親和的に見えようとも、気を抜いた途端にノマドを捕獲しようと待ち構えている。それゆえ力線を見極めるための「価値評価」がなされねばならない。そう、ノマドは窓を閉じたままにしないが、開け放ちもしない。つとめて「半開き」にとどめるのである。

 本書の達成のひとつは、「慎み」や「半開き」を思考されるべきものとして提示した価値転換にある。ただし、それらを可能にする見極めは、そのつどいかにしてなされるだろうか。まず、見極める感性の不在を率直にみとめよう。そして、時間をかけ、焦ることなく、考えぬくことでその感性を獲得せねばならない。「奇蹟を待望するのではなく、壁にやすりをかけるように」。その遅さのほうに出来事は宿るはずである。

 では、どこから始めればよいのか。本書からひとつだけ紹介しておこう。「外の風が吹き抜ける裏庭をつくること」(355頁)。

河出書房新社 文藝
2023年春季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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