同業の小説家をも泣かせる恋愛小説の名手・島本理生 最新作『憐憫』の読みどころを奥田亜希子が語る

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憐憫 = pity

『憐憫 = pity』

著者
島本, 理生, 1983-
出版社
朝日新聞出版
ISBN
9784022518682
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

鏡に映るのは

[レビュアー] 奥田亜希子(作家)

 鏡に映った姿が自分だと分かる、自己鏡映像認知能力を有しているのは、生きものの中でも一握りだ。日常的に鏡を使っている私たち人間も、生まれながらに認識できるわけではなく、発達に伴い、平均して一歳半から二歳のあいだに、この能力を身につけると言われている。つまり、外から自分を眺めるような視線を得ることは、決して容易ではない。認識したい対象が鏡に映らない内面なら、なおさらだろう。

 島本理生の『憐憫』の主人公、沙良は現在二十七歳。地元の児童劇団を経て芸能事務所に入り、ストレスとプレッシャーから結婚を選んだあとも、ずるずると女優を続けている。物語は、そんな彼女が柏木と名乗る男とバーで出会うことから始まる。印象的なのは、「私は時々、相手の顔を見すぎる。感情の小さな波立ちさえも拾ってしまう。」と自覚している沙良が、柏木を掴みあぐねているような描写が並ぶことで、しかし、この得体の知れない男にこそ、彼女の心は支えられる。

 母親と伯父にギャラが使い込まれていたこと。そのショックから陥った、四年間の摂食障害。過去の恋愛や、仕事のこと。沙良は柏木を介して自分自身を捉え直す。夫を遠くに感じたとき、マネージャーと噛み合わないとき、沙良が会いたいと思うのは柏木だ。柏木は直接的な答えにはならなくとも、沙良の心に染み込むような言葉を口にする。セックスにおいても、沙良は彼との行為で初めて楽しさを覚える。二人のあいだの摩擦は小さい。

 だが、自分がその人と通じ合っているかどうかは、自分自身をある程度理解していなければ分からない。でなければ、相手の中にあるものが自分の中にもあるものと共通しているかどうか、判断できないだろう。先述のとおり、自己鏡映像認知能力は、人間にとっては発達の印だ。今作を象徴する文章のひとつ、「あなたが私を分かっていることを、私は分かっていて、あなたが分かっていることを私が分かっていることを、あなたは分かっている。」からは、沙良の自分に対する客観的な眼差しが読み取れる。少女時代に傷つき、とまりかけていた沙良の時間が、柏木によって動き出したのだ。

 一方の柏木は、自分のことをあまり喋らない。沙良のほうも、彼に深くは尋ねない。二人を流れる時間にはおのずと差が生まれ、やがて沙良は年上だったはずの柏木を追い越す。だからこそ、数年後、母親の役に初挑戦することになった沙良は、あのような形で柏木のことを思い出したのだろう。

 この作品は、少女のころに正しく憐れまれることのなかった主人公が、他者にその思いを向けられるようになるまでの、切実な成長譚だ。ただし、その過程を説明する言葉は少なく、ひたすらに主人公の感覚が描かれている。私が著者の本を読むたび、どの感情を刺激されているかも分からないまま泣きたくなるのは、心の傷を設定にもエンターテイメントの材料にもしない誠実さがそこにあるからなのだと、今作に触れて確信した。

河出書房新社 文藝
2023年春季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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