賢い人も、そうでない人も、「無知」と言えば得をする

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バカと無知 : 人間、この不都合な生きもの

『バカと無知 : 人間、この不都合な生きもの』

著者
橘, 玲, 1959-
出版社
新潮社
ISBN
9784106109683
価格
968円(税込)

書籍情報:openBD

賢い人も、そうでない人も、「無知」と言えば得をする

[レビュアー] 実家が全焼したサノ(CMプランナー)

 はじめまして、実家が全焼したサノと申します。僕は、切ないことが他の人よりも少しだけ多く起きる、ただの会社員です。ペンネームの通り、実家は全焼しました。

 僕は、自分のことをバカで無知だと思っています。理由は二つあります。

 一つ目は、バカで無知ゆえに起きてしまう事故が度々あるためです。例えば、大学生の頃に付き合っていた彼女に「誕生日に何が欲しい?」と尋ねたところ、「取り鉢が欲しい」と言われたのでプレゼントしたら、号泣されました。彼女が欲しかったのは、取り鉢ではなく、トリーバーチだったためです。そんなことが僕は頻繁にあります。

 二つ目は、バカで無知だと言った方が、評価が上がるためです。本当にバカで無知であるにもかかわらず、それを正直に言うと「無知の知だ、本当は賢いでしょう」と勝手に相手が好意的に解釈してくれます。はっきり言って僕は「無知の知」の意味すらよくわかっていません。しかし「無知」を認めるだけで、「賢い」と言われるのだから、哲学者ソクラテスさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 本書では、ダニング=クルーガー効果という心理現象が紹介されています。「能力の高い者は自分の成績を過小評価し、能力の低い者は逆に過大評価する」というのが、ダニング=クルーガー効果だそうです。つまり賢い人たちが、賢い研究をして、「バカはバカだと気付かない」と言っているのです。じゃあ、知っていようが知っていまいが「バカです」と認めた方が、楽です。

 そもそも「賢い」「バカ」と人を分類すること自体、あまり僕の好みではありませんが、なぜ、「バカ」と認めた方が評価されるのでしょうか。そしてなぜ、人は「賢い」と思われたいのでしょうか。それについては本書にある「生存のためには他者と協働しなければならないが、生殖のためには他者を押しのけなければならない。これが、数十万年前から人類が直面してきた究極の矛盾だ」という一節がしっくりきました。つまり、賢くて優秀だとアピールし目立ちすぎると、反感を買って共同体から追放されて生きていけませんが、一方で賢くて優秀だと思われないと、パートナーを獲得できず子孫を残せないという、矛盾を抱えて人は生きているのです。

 そんな無理難題を乗り越えた先祖、そして今この世界にいる僕たちは、賢いどころか、もれなく全員天才ということでいいじゃないかと思いました。

新潮社 週刊新潮
2023年2月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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