断りなく湧いてくる思いを書きとめて――随想の真骨頂

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断りなく湧いてくる思いを書きとめて――随想の真骨頂

[レビュアー] 大竹昭子(作家)


『水牛のように』八巻美恵[著](horo books)

「随想」という言葉はだれが考えたか知らないが、うまい言い方だ。本人に断りなくふっと湧いてくる考えや思いに沿って書かれた文章。本書はその随想の真骨頂である。

「手紙」は「送られてきた封筒をあけると、文庫本が一冊入っていた」とはじまる。二三七ページにきみがいるよ、という送り主のメモに従いそこを開くと、「明治に生まれたならこれが自分だと感じられる」女性が巻紙に小筆で手紙をしたためている写真が載っている。話はそこから歌人で名随筆家としても知られる片山廣子の文章や、夏目漱石の短篇へと移っていく。

 途中には福島の中学を転校後にかつてのクラスメートから手紙が届いた話が織り込まれるが、「あなたのもみじのくさったような手を握りたくなりました」という親友の奇抜な表現がいい。手と紙が一緒になったものが手紙なのだと改めて感じた。

 あまり知られていない文学作品が随所に登場し、それを元にブックリストを作成することもできる。これは著者が「青空文庫」に関わっていることが大きいだろう。著作権が切れたり、著者から許諾を得た作品を入力してインターネットで公開する活動である。ふだんから文学への目配りができているのだ。『水牛通信』という伝説的ミニコミのweb版の運営人でもあり、本書のタイトルはそれに由来する。

「いつものように、夫が淹れてくれる朝のコーヒーを味わってから起き上がり、」というくだりには仰天した。つまり夫の手で淹れ立てのコーヒーがベッドに運ばれてくるわけだが、この「夫」とは現代音楽家の高橋悠治氏なのです。

 このシーンを彼の姿に変換して読むと味わいが増す。黒子の仕事を愛し、あらゆることを穏やかに、ユーモラスに、境界を軽々と跨ぎながら綴っていく。「文は人なり」の見本のようだ。料理の話もとてもよくて、たくさん付箋が付いた。

新潮社 週刊新潮
2023年2月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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