『宗教者は病院で何ができるのか 非信者へのケアの諸相』森田敬史/打本弘祐/山本佳世子編著(勁草書房)
[レビュアー] 堀川惠子(ノンフィクション作家)
死の間際 豊かな時間に
墓じまいや身辺整理など「終活」が盛んだが、どれだけの人が死の現実を想像できているだろう。本書が分析するのは、亡くなる間際の「スピリチュアル・ペイン」つまり死の恐怖や、愛する人を遺(のこ)していく悲しみといった精神的苦痛に向き合う宗教家たちの実情である。
調査の対象は、終末期を支える「チャプレン」「ビハーラ僧」「臨床仏教師」らが活動する全国470の病院や緩和ケア施設だ。看護チームから日々の情報を共有できる病院、限られた時間のみ出入りできる施設など濃淡は様々だが、無宗教者や信仰の異なる患者とまで積極的にかかわる様子が浮かび上がる。
人生最後のやりとりは「宗教抜き」の人間同士の対話になるという。「普通の人」として話ができればいい。頼まれれば他宗教のお経だって読む。宗教者自身が患者に教えられ育てられる。高尚な雰囲気の僧侶より「俗っぽい」坊さんが好まれるとの証言もある。かつて宗教者による心のケアは「宗教アレルギー」で病院から拒否されたり、布教活動と誤解されがちだった。近年ようやく「傾聴」として受け入れられ始めたところにコロナ禍で、臨終の立ち合いが過度に制限される現状に心配の声もあがる。
私自身も経験したことだが、どんな固い絆で結ばれた関係でも最後は第三者の助けが必要になる。治療手段を失った病院関係者は「死」には無力だ。亡き夫からさまざまな思いを引き出してくれたのは、親友でもある尼僧だった。臨終間際の豊かな時間は、遺族にとってもその後を生きる支えになる。
死者たちは「こうしてほしかった」と訴える術(すべ)を持たない。死の臨床現場には学ぶことが沢山ある。看取(みと)りが病院から在宅へ向かう中で、宗教者と患者家族が平素から深いかかわりを持てれば「葬式仏教」と揶揄(やゆ)される現状も変わるかもしれない。精緻(せいち)な研究の書は、人間の生死(しょうじ)に向き合う宗教者の可能性を大いに示している。