<書評>『山の今昔物語』工藤隆雄 著

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山の今昔物語

『山の今昔物語』

出版社
山と溪谷社
ISBN
9784635824309
発売日
2022/12/08
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『山の今昔物語』工藤隆雄 著

[レビュアー] 田口洋美(東北芸術工科大教授)

◆「異界」の不思議を追体験

 グランピングやソロキャンといった言葉が巷(ちまた)を賑(にぎ)わしている。バブル期以来のキャンプブームの再来である。人びとは無意識のうちに自然とのわずかなふれあいを求めている感がある。それは日常に横たわる重い空気、自分の力で抗しきれないあまりにも大きすぎるコロナという空気に抱かれている、その自覚の現れかも知れない。澱(よど)みなく、濁りない、清らかな空気を求めての小さな抵抗。

 加えてここ数年、異界としての山や森の世界が急激に浮上してきている。その現れの一つが本書のような異界空間での体験や伝承を語り伝える物語の多出であろう。

 本書は「今は昔、…………となむ語り伝えたるとや」という決まり文句で時代の世相や不思議の語りを集めた古典『今昔物語』を模して、現代の伝承、人びとによって語られた異界としての山の語り集である。全体で十章八十六話が収められている。

 その内容は、妖怪奇譚(たん)から魑魅魍魎(ちみもうりょう)、聖なる神との交流譚。そうかと思えば山小屋の水洗便所や女性の小屋番の話そして山をめぐる役所の話や痴話まで尽きることがない。現代の話と古典的モチーフが入れ篭(こ)に併存している不思議な物語世界を追体験できる。

 その語りは「霊鬼的な話」、「奇妙な話」「遭難事故の話」「動物並びに昆虫の話」などからなる章立てだけ見てゆけばトピック毎(ごと)に話を集めたにすぎないように見えるが、いやいやそこはなかなか凝った構成になっている。読み進むうちに物語の多重性とでも言おうか、いくつかの物語が重なり合って、また別の空間を押し広げてゆくような、重層的な物語の相互の力学が働きはじめるのである。当然そのような構成であるから、何処(どこ)の章から読んでも、どの物語から読みはじめても良く、人それぞれに微妙な印象の差が生まれながら読後感を異にしてゆくつくりになっている。

 何もない空間の中に人や獣の気配を感じたと思えば、誰かに見られている自分を発見したり、視点がずれ、物語ははじけてゆく。面白い読まされ様である。

 (天夢人発行、山と渓谷社発売・1760円)

1953年生まれ。ノンフィクションから児童文学まで幅広く執筆。『富士山のオキテ』など。

◆もう1冊 

工藤隆雄著『マタギ奇談』(ヤマケイ文庫)

中日新聞 東京新聞
2023年2月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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