<書評>『天啓ハンセン病歌人 明石海人(あかし・かいじん)の誕生』松岡秀明 著

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天啓

『天啓』

著者
松岡秀明 [著]
出版社
短歌研究社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784862727039
発売日
2022/12/01
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『天啓ハンセン病歌人 明石海人(あかし・かいじん)の誕生』松岡秀明 著

[レビュアー] 土井礼一郎(歌人)

◆患者の「語り」読み解く

 明石海人(一九〇一〜三九年)は、三二年の長島愛生(あいせい)園入所後本格的に短歌を始めたハンセン病歌人の代表的存在として今日まで知られている。最晩年の歌集『白描(はくびょう)』は歌壇の内外で評判を呼び当時の歌集として異例の二万五千部を売り上げたという。

 海人に関してはこれまでもいくつかの評伝が出版されたが、本書のもっとも特徴的なところは、海人その人に関する資料(日記、手紙、関係者の証言…)よりも『白描』に収録された短歌の数々を重視し、丁寧に読み解いていくことで、当時の患者らが置かれた状況、医療の実態までも浮き彫りにした点だろう。医師で文化人類学者でもある著者は、海人が自らの発病と診断から失明、気管切開手術に至るまでをほぼ時系列に詠んだ『白描』の第一部を「自己民族誌(オートエスノグラフィー)」であり、病む人が自身の言葉でその体験を綴(つづ)る「探求の語り」(社会学者アーサー・フランクの提唱した概念)でもあると位置付ける。

 『白描』は、患者としての歩みを詠む第一部(たとえば「雲母(きらら)ひかる大学病院の門を出でて癩(かたゐ)の我の何処(いづく)に行けとか」。これは診断直後の心境を詠んだ歌)と、モダニズム短歌の影響下で詠まれた第二部(「シルレア紀の地層は杳(とほ)きそのかみを海の蠍(さそり)の我も棲みけむ」)に分かれ、作風に大きなブレがある。刊行直後『白描』がベストセラーとなったのは、むろん第一部が人々の心を打ったからだが、その後次第に第二部の評価が高まった。塚本邦雄は六四年の評論でこの歌集の「存在理由」は「第二部の作品群によってのみ証明される」とまで語るのだが、かたや本書の試みは、大胆にも第一部の再評価を促すものといえる。

 自身の半生を歌で語るという近代以来の古い短歌のあり方を、本書は明石海人という例をとりながら、科学の目を添えて見つめなおし、そっと肯定している。それはおそらく著者にとって短歌史の流れにくさびを打ち込むような、孤独な戦いだったはずだが、結果として短歌という形式そのものの新しい価値を提案することになった。

 (短歌研究社・2970円)

1956年生まれ。東京大死生学・応用倫理センター研究員。短歌結社「心の花」所属。歌集『病室のマトリョーシカ』。

◆もう1冊

荒波力(あらなみちから)著『幾世(いくよ)の底より 評伝・明石海人』(白水社)。多くの資料をひもときながらその歩みを活写した“評伝”としての海人論の金字塔。

中日新聞 東京新聞
2023年2月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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