子どもの受難を凝縮した痛切な一篇

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新訳 チェーホフ短篇集

『新訳 チェーホフ短篇集』

著者
アントン・チェーホフ [著]/沼野 充義 [訳]
出版社
集英社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784087734706
発売日
2010/09/24
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

子どもの受難を凝縮した痛切な一篇

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「眠り」です

 ***

 われわれの考えるような人道主義が広まり始めたのは、ヨーロッパでは19世紀になってからである。とりわけ、子どもが労働力として酷使されている現実に対し反省の意識が芽生えた。

 作家や詩人たちもそれに連帯する作品を書いた。少年が倉庫でこきつかわれるディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』や、少女コゼットの辛苦を描いたユゴーの『レ・ミゼラブル』がすぐに思い浮かぶ。

 チェーホフの短篇「ねむい」は、数ページのうちに子どもの受難を凝縮した痛切きわまる一篇だ。作者本人は原稿料欲しさに「新聞のために殴り書き」した代物などと言っているが、それどころではない。

 強烈なインパクトはひとえに、「眠り」という万人にかかわる事柄にテーマをしぼったことで生まれている。ワーリカは年の頃13くらいだが、奉公先で一日中ありとあらゆる仕事をさせられ、夜は泣き止まない赤ん坊の子守りで全然眠らせてもらえない。眠気と戦ういたいけな少女の脳裏に浮かぶあれこれを生々しく伝える文章に息を呑む。

 追いつめられていく少女の意識をとおして、眠りは人間の生死に直結する重大事であることが実感される。『新訳 チェーホフ短篇集』の訳者沼野充義氏はこの一篇を「死について」というセクションに分類している。

 ラテン語の「眠りは死の似姿」という定型句を思い起こしてしまう。何に代えてもぐっすり眠りたいという少女の気持ちが圧倒的に迫ってくる傑作だ。

新潮社 週刊新潮
2023年2月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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