『言語はこうして生まれる』
- 著者
- モーテン・H・クリスチャンセン [著]/ニック・チェイター [著]/塩原 通緒 [訳]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 自然科学/自然科学総記
- ISBN
- 9784105073114
- 発売日
- 2022/11/24
- 価格
- 2,970円(税込)
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普段の会話こそ究極のフリースタイル!
[文] 新潮社
フリースタイルラップと和歌の意外な共通点
宇多丸 いとうさんは、「フリースタイルダンジョン」の審査員をずっと務められてきて、若い子のフリースタイルバトルを、僕なんかよりいっぱい見てるじゃないですか。
いとう 見てる見てる。
宇多丸 ラップの仕方や内容に、何か変化って感じられますか?
いとう 高校生とか中学生くらいの子が、あまりにうまい入り、スタイル、切り返しとか、韻の踏み方とかをしてくるわけじゃないですか。もう完全に日本語というもののエンジンが変わったなっていう感じがある。いま彼らは、現実に会話してるときにはない脳の働きでやってるわけだから。サイファー(※2)で常に自分たちを鍛え、リズムの中でどれくらい韻が踏めるかっていうことを頭の中に叩き込み、言葉を喋っていく。それから相手の論理をどういうふうにいなすのか、ひっくり返すのか、脅すのかっていうようなことも同時にやっていく。
宇多丸 それこそ通常の会話以上に相手の言葉をしっかり聞かないといけないし、聞くのと出すのをほぼ同時に進めなきゃならないんだから、なかなか大変。
いとう そうなんだよ。だからそういう意味では、この本が言うようなノイズ性はほぼない。普段の会話の方がノイズだらけでしょう。
宇多丸 たぶんフリースタイルラップは、とは言え偶数小節単位のケツで韻を踏むとかオチをつけるとか、意外と決まりごとが多いというか、あくまで音楽的なルールの枠内で競う一種の「スポーツ」でもあるから、ひょっとしたらそこで何か一箇所、考えなくても済むスポットのようなものができるのかもしれない、とも思うんですけど。
いとう 脳の中に空いてる部分があって、そこで計算してるっていうことかな。それはあると思う。多分平安の歌人たちも、同じことをやってたと思うよ。たぶん音楽的にはありえないBPM(※3)32とかで、ものすごいゆっくり「ひさかたのー」って。絶対次に「光」が出てくるわけだから、みんながそれを共有して「何の光なわけ?」って映像的なものをゆっくり楽しむ。そこで「のどけき春の日に」とか歌うわけよね。その時間の中で、中国の漢詩から何から全部ワーッと共有してる。そしてオチで詠み手だけが言えることがドンッて出てくる。そうするとやっぱり「おー」って言ったはず。コールアンドレスポンスが歌の会の中でなかったわけがない。
宇多丸 たしかに!
いとう 五七五の場合は、「何何の」「うん」「何何何の」「う」「何何の」「うん」と、休符が一拍半拍一拍になっている。実はこの休符がすごく重要で、これはレスポンスのための休符なんだっていうのが俺の考えなのよ。「何何の」って言ったら「おっ」とか「うん」、「どうする」と合いの手を入れるコミュニケーションがあったと考えなければ、あの休符が生きないよね。五七、七五は日本語の伝統なんだっていう人は多いけど、なんでその伝統がエンジンとして素晴らしかったかは、やっぱり聞き手の側から考える必要があると思うわけ。
宇多丸 例えば祭りばやしが鳴ってりゃ、「よいしょっ!」とか「もういっちょ!」とか、自分もついやりたくなっちゃう感じ。普段の会話でも、それこそ五七五的ないいリズムで来ていれば、「それからどした!」って合いの手を入れたくなる。
いとう それなのよ。僕と宇多丸の世代は、いかにその休符をつぶして音頭に聞こえさせないかってことが本当に重要だった。「何とかの」「よいしょ」ってラップやったら、なんだよそれ民謡じゃねえかって言われちゃうから、絶対にやってはいけなかった。でも今はトラップっていう音楽が出てきて。
※2 サイファー……複数人が円になり、即興でラップすること
※3 BPM……一分間の拍数