日常会話はなぜ成り立つのか? 「究極のフリースタイル」である言語を考える【いとうせいこう×ライムスター宇多丸・対談】

対談・鼎談

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言語はこうして生まれる

『言語はこうして生まれる』

著者
モーテン・H・クリスチャンセン [著]/ニック・チェイター [著]/塩原 通緒 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784105073114
発売日
2022/11/24
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

普段の会話こそ究極のフリースタイル!

[文] 新潮社

日本語ラップの難しさ

いとう 著者はデンマーク人とイギリス人だけど、英語圏で活躍している人たちだよね。英語は大づかみしやすい言語とも言える。「私はそう思わない、なぜならば」という語順だから。でも日本語は「これこれこういうわけで、違うと思うんだよね」というように結論が最後につく言語。我々ラッパーが一番最初に困った日本語の特徴でもあるんだけど。

宇多丸 そうでしたね。

いとう さらに日本語は膠着語で、ほとんど「だ」とか「じゃない」で終わるから、韻が踏みにくい。それで「そうは思わない、俺は」と倒置法を使うようになった。ちなみに、この倒置法はほんの10年ちょっと前までは、ライブでは観客に伝わらなかった。だけどこの頃は伝わるようになってる。日本語を聞く能力が変わったんだよ。

宇多丸 それと、日本語は文語的なものと口語的なものの乖離が激しいじゃないですか。口語のふんわりした構造に対して、文語は、漢語的表現の枠をかっちり作って、あえてハードルを高くすることで社会階層を強化する、言ってみれば「お上」の論理から形成されたものでしょう。この本を読んで、そういう構造も僕の中では改めてクリアになった。

いとう その話を聞いて思い出したのは、文語の中の膠着語の話。文語では「〇〇なり」とか「〇〇けり」とか「〇〇ならん」とか言うわけじゃない。それって古文で教わったと思うけど、全部「詠嘆」って言われちゃうんだよね。「なり」と「けり」の細かい違いを教えてくれよって思うのに(笑)。

宇多丸 詠嘆ってファジーな言葉ですよね(笑)。

いとう もともとは英語のOhとかAhみたいなものが、文末にきちゃう言語だったんだよね。我々はその詠嘆が「だ」「である」で省略された近代以後にどういう面白い表現を考えるか。

宇多丸 日本語で喋ってると、終わらせ方が難しいというのは感じます。決まらないというか、バリエーションがないというか。ラップのときもそうですけど……僕は、普段のラジオはゲストやパートナーとの会話で進めますけど、映画評だけは一人で、しかも一度文字に起こしたものを、台本代わりにして喋ってるんです。それでもいつの間にか、やはり倒置が多くなるんですよね。「これは何とかなんですよ、誰々がこうしたから、この作品は」みたいな。リアルタイムで情報を詰め込もうとすると、日本語の語順を変えないとうまく伝わらない感じがある。

いとう やっぱり文の前半とか頭のところに結論を持ってきて強くしたくなるってことだと思うんだよね。

宇多丸 そうですね。それで、ここまで何の話をしてきたのか、という情報を改めて文の後ろに入れておく感じ。

いとう よくわかる。そして、それは小説の文ではできないことなんだよね。倒置による詠嘆を入れたら、語り手は誰だということになってくるから。語り手がいないかのように、嘘をつかなきゃいけないのが近代以降の小説。でもやっぱり書いていると、本当は詠嘆入れたいわけよ。それでこの頃、僕が頭の中で転がしてるのは能の謡。散文じゃない。

宇多丸 文章で、ラップで言う「フロー」(※1)が伝えられればいいのに、ってことですかね。

いとう そういうこと。でも長い韻文書いても受け取る側も大変だろうし、短いほうがいいってなると詩になっていく。今腕っこきのメンバーでバンド組んで、日本語ラップから即興的なポエトリーリーディングのほうにグーッといってることともつながるんだよね。一曲の中で、俳句ひとつ読んで黙っててもいいわけだから。ダブサウンドでワンワン飛ばしてもらって。

※1 フロー……歌い方、歌いまわし

新潮社 波
2023年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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