『シャンソンと日本人』
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生明俊雄『シャンソンと日本人』(集英社新書)を安田昌弘さんが読む 日本のポピュラー音楽に耳を澄ます
[レビュアー] 安田昌弘(京都精華大学教授)
日本のポピュラー音楽に耳を澄ます
パリに住んでいた頃、Japan Expoという日本のポップ文化を紹介する見本市の手伝いをすることが度々あった。そこで薄々気がついたことは、日本のマンガやアニメを嗜(たしな)むフランス人の輪のなかに日本人が入っても、歓迎されるとは限らないということである。日本のマンガやアニメは、フランスで享受可能なほかの文化実践(仏語圏のバンド・デシネやハリウッド映画など)との差異を通してフランスに根を張っていくのであり、そこに「正統」を振りかざす日本人が現れてもありがた迷惑である、というわけだ。
生明(あざみ)俊雄が本書で描く日本のシャンソンにも、同じようなプロセスを読み取ることができる。生明の言う通り、シャンソンの肝は「うた」である。ただし、原曲通りスペイン語で歌うことが好まれた日本のタンゴと異なり、シャンソンが日本に広まる原動力となったのは、(時に極端に意訳された)日本語詞であった。その起源は、戦前の宝塚少女歌劇団が「レビュー」という上演形態とともにもたらした、「純愛と芸術の都=パリ」という虚像まで遡ることができ、それはやがて日本人が作ったシャンソン風流行歌の全盛へとつながっていく。そこには「本当のシャンソンを知る」フランス人の入る隙間はない。
フランスにおけるマンガやアニメにせよ、日本におけるシャンソンにせよ、同じ「グローカル化」の産物ということになるだろうか。円盤や書籍としてパッケージ化された文化は、商品として輸出され、消費される。しかしながらそのような文化的財を取り巻く言説は、輸出先の国・地域のメディア環境や既存の他ジャンルとの関係性のなかで生み出される。そうしたローカルな言説空間における影響力の布置は、輸出元の国・地域のそれとは一致しないことがほとんどだ。
その意味で本書は、フランスと日本の比較メディア史としてこそ読まれるべきだろう。また、日本のシャンソンにおける銀座の位置付けや、日劇やヤマハホールなどの「大劇場シャンソン」と銀巴里(ぎんパリ)やラ・セーヌなどの「喫茶店派シャンソン」との拮抗など、英米音楽に圧(お)されて聴こえづらくなってしまった日本のポピュラー音楽に耳を澄ますきっかけとしても読みごたえがある。
安田昌弘
やすだ・まさひろ●京都精華大学教授